2024.9.29 (日) タイ日記(4日目)
昨夜は早く眠りに就きすぎたか、いまだ23時35分に目を覚まして大いに焦燥した。2時30分や3時ならともかく、当日のうちに目を覚ましては、いかにも早すぎる。眠ろうと努めたものの眠れず、おまけにiPhoneはwifiは繋がらないからTikTokを観て時間を散じることもできない。枕元の灯りは接触が悪くて点いたり消えたりを繰り返した挙げ句、遂に消えたままになった。こうなると本も読めない。それに加えて胃が痛い。食べ過ぎだろうか。
寝台を降りて持参した薬の袋を開く。そこから新三共胃腸薬を取り出そうとして、毎朝の服用が義務づけられている血圧安定剤を、2日目から飲み忘れていたことに気づく。
消化剤を飲んで灯りを消すと何とか短く眠ることができ、三度目はかなり長く眠れた。ようよう起きてコンソメスープの素を熱湯に溶かし、それを飲みつつきのうの日記を書く。外はいまだ暗い。
僕の旅には大まかな日程表がある。朝食の後はその、要点のみ記したそれに従って、IKEAのトートバッグに洗濯物を入れる。このホテルに洗濯のサービスは無い。ただし目と鼻の先にコインランドリーがある。それはホテルを予約するときに確かめてあった。
24時間営業のコインランドリー”Otteri”では、係らしいオネーサンが掃除中だった。僕の姿を認めるなりオネーサンは”Wash and dry?”と声をかけてくれた。とても有り難し。洗濯機は容量の大きな順に18Kg用が3台、14Kg用が3台、9Kg用が2台あって、オネーサンはそのうちの9Kg用で洗い上がったらしい洗濯物をカゴに出してくれた。幸運、である。
それよりも先ずは洗剤を買う必要がある。その自動販売機の前までついてきてくれたオネーサンは「柔軟剤は必要か」と訊く。僕は「不要」と答える。液体洗剤の値段は5バーツだった。オネーサンは次に、紙幣を10バーツ硬貨に両替する機械を指した。ここで10バーツ硬貨10枚を得る。
水の温度は38~40℃、50~60℃、60~70℃の3種があった。「38~40℃の”COOL”で良いか」とオネーサンが訊く。日本のことを考えればそれでも充分だろうけれど、僕は50~60℃の”WORM”を指定した。すると洗濯機に「50」の数字が出たため、10バーツ硬貨5枚を差し込み口から投入する。洗濯時間は「26分」と表示された。
“Otteri”は南の国らしく、道路に面して開け放たれている。涼を得る道具は扇風機のみだから蒸し暑い。それでも店内の机に「昨日の戦地から」を開いて読み始める。高松宮の好意により皇居に招き入れられたオーティス・ケーリを案内したキノシタ侍従次長とは、自由学園でひとつ上のキノシタテルオ君のお祖父さんではなかったか。「キノシタ氏」の「温かいもてなし」については1ページ半も費やされているから、このことはキノシタ君に知らせて上げるべきだろう。
洗濯は26分より長くかかったような気がした。乾燥機は8台があった。そのうちの1台に脱水を終えた洗濯物を入れると、先ほどのオネーサンがまた来て「ここに50バーツ」と、またまた教えてくれた。温度帯は4種類があったものの、どうやら”HIGH”が標準のようだった。乾燥時間は28分と表示された。
その28分間を経て、オネーサンに礼を述べて”Otteri”を去る。時刻は9時20分になっていた。5分後にホテルの部屋でそれらを畳みながら、タイ入りをする際に履いていた靴下の片方の無いことに気づく。探しても探しても見つからない。25日の夜にボーディングパスを失いかけた、あの粗忽さをまたもや繰り返してしまったか。
“Otteri”に戻ると、僕の使った乾燥機は、既にして次の人の洗濯物を乾かしながら回っていた。洗濯機の方はいまだ誰にも使われていなかったため、中を覗き込むと、回転ドラムの上の方に、靴下のもう片方が貼り付いていた。それを取り出して高々と掲げる。オネーサンは「おぉ」と笑った。
10時30分より外へ出てジェットヨット通りへ向かう。きのうの貸しオートバイ屋で自転車を借りる。24時間で100バーツの料金は安いと思う。きのう言われた預け金1,000バーツもオバサンに渡す。
さてコロナの前までは、マッサージは”PAI”の他に、北はメーサイ、南はバンコクまで続く国道1号線沿いの高級店”ARISARA”に通っていた。今回の旅に先だって、再訪のためGoogleマップで調べたところ、別の場所にフラッグが立った。何かの間違いではないか。
ペダルを踏んで真っ先に向かったのは、その”ARISARA”だった。片側三車線の広い通り沿いに、見慣れた建物は確かにあった。自転車をステンレス製の靴脱ぎに鎖で入念に繋ぎ、階段を昇る。マネージャーは以前の怖そうなオバサンではなく、若くて太ったオネーサンになっていた。
「コーヴィットの前まで自分はここに通っていた。係はプックさん。プックはPOOK。彼女は今いるだろうか」と問うも、オネーサンには通じない。何度か繰り返すうち、オネーサンはスマートフォン取り出し、僕に向けた。「英語でですか」と問うとオネーサンは頷く。オネーサンは翻訳されたタイ語を一瞥して「あー」と、ようやく納得した。オネーサンが見せてくれたスマートフォンには「8ヶ月前にオーナーが変わって、その女の人も今はいない」とあった。先ほどお茶と共に出してくれた水のペットボトルの文字を読んで「今の店名はワンサバイ、ですか」と訊けば、オネーサンは頷く。なるほどそういうことだったのか。しかし今さら後戻りはできない。
“ARISARA”あらため”ONE SABAI”のオイルマッサージ2時間の料金は800バーツ。医療施術師といった感じのプックさんには200バーツのチップを上げていたけれど、今日のオバサンへのそれは100バーツに留めた。帰り道の左側には確かに、Googleマップが示す通り、現在の”ARISARA”があった。しかしドアを押してプックさんの在籍を確かめるまではしなかった。
まばらではあったものの大粒の雨が落ちてきたため、勝手知った裏道を急いでホテルに戻る。しばらく空を眺めても、雨は強くならない。よって思い切ってふたたび街に自転車を乗り出す。そしてきのうのガオラオ屋の道を隔てた真向かい、10年以上も通っているカオゲーン、つまりぶっかけ飯屋で昼食を摂る。料金はごはんにおかず3種を添えて70バーツだった。
とにかくタイにいる限り、なにかひとつのことをするたび汗だくになる。部屋へ戻るなりシャワーを浴び、クーラーの電源を入れる。僕のコンピュータの中にしかないデータを、事務係として今月より採用したヒロタイクコさんに処理してもらうため送って欲しいと、12時49分に長男からメッセージが届いていた。よって即、当該のものを送る。そのときの時刻は14時ちょうど。「急ぐときは電話」の鉄則に従って、長男に報告の電話を入れる。
プールサイドの寝椅子は快適でも、午後は日が差す。よって以降は部屋で静かにしている。そして17時を過ぎたところで本、ステンレス製のコップ、タイ航空のペットボトルに小分けしたラオカーオ、メモ帳、ボールペン、財布、iPhoneをセブンイレブンのエコバッグに入れて外へ出る。
「昨日の戦地から」の五百籏頭真による解説は秀逸。肴はきのうの夜の胃痛を思い出して一品に留める。
食べて呑んで目抜き通りに出れば、時刻はいまだ18時30分にも至っていなかった。この時間に帰って寝ては、また今日のうちに目を覚ましてしまう。そう考えて、帰り道の途中にある”PAI”に寄る。そして1時間の足マッサージを受ける。200バーツの料金は、バンコクでは考えられない安さだ。オバサンには50バーツのチップ。
今回の旅では、着の身着のまま、あるいは素っ裸で、部屋の灯りを点けたまま眠ってしまう、という粗相はいまだしていない。シャワーを浴び、パジャマを着て20時前に就寝する。
朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 ”Srikrung”の3種のおかずのカオゲーン
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのヤムサイタン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)