2024.9.9 (月) すこし前までは
きのうはひとり夕食を摂りながら、高野秀行の「イスラム飲酒紀行」の最後のところを読んだ。酒が歓迎されない地域を旅したことは僕にもある。1982年に滞在したインドのバラナシでは、大麻樹脂の黒い玉は屋台にピラミッド状に積まれて堂々と売られていたにもかかわらず、酒は手に入りづらかった。タイではラオカーオを提げて夕食の場所へ向かう楽しみがある。しかし2016年に訪ねたナラティワートの食堂にはヒジャブを着けた女の人が目立ち、流石の僕も酒は遠慮した。
「イスラム飲酒紀行」に話を戻せば、高野はイスラマバードの茶屋で大学生と知り合い、彼の自宅まで行く。そこでジョイントを勧められると首を横に振って「マリファナなんて子供のやるものだ。酒はマリファナとは比べものにならないほどいい」と断定する。
「腑に落ちないのは酒を売る人々のこと。 このよきものを売って何に替えようとか」と、オマル・ハイヤームは詠った。詩人はペルシャ、つまりイランの人である。高野はその禁酒国でようやくチョウザメのフライと発酵食品アシュバルを肴にビールを飲むことに成功する。金を出したのは高野でも、シャイロックに似た案内人は遠慮なく料理とビールに手を伸ばし「昔はよかったよ。お祈りも酒も両方あった。今(ホメイニ以降)はお祈りしかない」と嘆く。
ホメイニ以前のイランはパーレビ朝の独裁が国を覆っていたわけだから、その時代はその時代で民衆のあいだには不満が満ちていたに違いない。しかし酒は自由に飲めた。つまり大昔からすこし前までは、酒は自由に飲めた。「今」は難儀なことである。
朝飯 鮭の粕漬け、菠薐草のおひたし、大根と胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、若布と揚げ湯波とオクラの味噌汁
昼飯 茄子の味噌炒りのつゆの素麺
晩飯 「食堂ニジコ」のキュウリの辛子和え、ピータン、あんかけ焼きそば、「二階堂酒造」の麦焼酎「二階堂」(ソーダ割り)