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清閑 PERSONAL DIARY

2024.6.13 (木) タイ日記(11日目)

短い夢を途切れ途切れに見ながら、途切れ途切れに眠る。夜はベランダの戸を開け、扇風機はもっとも弱く回しておく。朝方は、扇風機を止めようかと思うほどの涼しさだった。

今日は帰国日にて、6時より荷作りを始める。先週の金曜日に買った3本のラオカーオは徐々に量を減らし、今朝は数本のペットボトルに小分けをした。帰国後は次に備えて冷蔵庫で保存をするのだ。8時を過ぎるころ、急に気温が上がってくる。シャワーを浴び、部屋の扉を半開きにして風を通す。

8時45分、下はパタゴニアのバギーパンツ、上には半袖のポロシャツを身につけロビーヘ降りる。何度も階段を上り下りしたくないから、手提げ袋には財布とiPhoneの他に、本と紫外線を防ぐためのメガネも入れている。朝食はトーストとコーヒーと果物のみ。それでも身動きが取れないほど満腹になる。

食後はプールサイドで本を読む。手が疲れてきたら、本をiPhoneに持ち替えて、朝食の前に公開したばかりのきのうの日記を読む。誤字、脱字、言い回しの気になるところ等々、計18ヶ所を見つけるものの、コンピュータは部屋に置いたままだ。よって修正の必要なところは仰向けのまま手帳に記す。

今回、持参したドナルド・キーン編「昨日の戦地から」は、いまだ20代だったドナルド・キーンやオーティス・ケーリたち日本語将校が第二次世界大戦直後のアジアに来て、観たこと、聞いたこと、また、したことを手紙で知らせあった書簡集だ。これがべらぼうに面白い。今日までかけて293ページまで進んだ。惜しいことに27通目の「青島のドナルド・キーンから東京のテッド・ドバリーへ」では「注1」の注釈が抜けていた。

昼を過ぎたところでプールサイドから引き上げる。フロントにはおとといまでのオバサンがいる。きのう預けた洗濯物が仕上がっているかどうかを、そのオバサンに確かめる。チェックアウトの時間を訊ねられて16時と答えつつ「仕上がっていれば嬉しい」と言葉を添える。オバサンは果たしてきのうとおなじ”LOCKERS”の看板の下の部屋から、洗い上がったシャツやその他を出してくれた。これで荷作りを完了させることができる。多いにありがたい。

部屋に戻ってきのうの日記を修正する。荷作りを終えれば何をすることもないから、風の通る部屋でベッドに仰向けになる。iPhoneでTikTokを開けば「タイに来たらすべき18のこと」という動画が飛び込んでくる。高級ホテル、名所、有名料理店を巡るそれを見ながら「タイに来てすべきことは、すなわち何もしないことでしょう」と、腹の中で呟く。

部屋のドアを開け放ち、スーツケースはそこへ置いたまま、ザックのみ背負ってロビーに降りる。ちなみにこのホテルではロビーを”FOYER”と記している。古風な英語なのだろうか。ベルのコーナーにいたのは先日のオジサンではなく、オニーチャンだった。大きく赤いプラスティック板に”D-7″と白く彫られた部屋のキーホルダーを見せつつ、スーツケースを降ろすよう言う。きのう「そこを押されりゃ、誰だって多少の違和感はあるだろう」と感じた腰の違和感が、今朝からは腰全体に広がっている。枕を持参すべきなのかも知れないけれど、まさかそのような大きなものを持ち歩く気にはならない。オニーチャンには50バーツのチップ。おとといまでのレセプションのオバサンが笑顔で見送ってくれる。このホテルは、ある程度の時間であれば、レイトチェックアウトに追加の料金は取らない

soi2に出てしばらく往くと、前からタクシーが来てすれ違う。小路の奥で客を降ろせば戻ってくるだろう。そう踏んで歩き続ける。その僕に、いつもタクシーを停め一発を狙っているオジサンが声をかける。無視をしても声をかけ続ける。小路の奥でUターンしたタクシーに、停まるよう合図を送る。それでもオジサンは声をかけ続ける。

タクシーの、助手席側の窓が開く。「トンローの駅まで」と伝える。僕の言葉を聞き取れない運転手が何やら言う。「トンローまでだよ」と、いまだ諦めない一発狙いのオジサンが運転手に教える。「250バーツ」と運転手は言う。「ミーター」と発すると、運転手は断ってきた。「250だってさ」と、僕はオジサンを振り向く。オジサンは「そのくらいは妥当な範囲だわな」という顔つきをする。「200バーツ」と値切ってみる。運転手は頷いて、助手席のドアを開ける仕草をする。一発狙いのオジサンは、人は良さそうだ。僕がスーツケースを助手席に載せることを手伝ってくれた。時刻は15時45分だった

soi2からスクムヴィット通りに出れば、トンローは右の方向だ。しかし右折はできない。左折をしてすぐの、モーターウェイに沿った寂しい道をタクシーは南下する。「ラマシー」と運転手が呟く。なるほどラマ四世通りまで出て東に進む大回りしか経路は無い、ということなのだ。普段は、メーターで行く運転手のタクシーにしか乗らない。しかし重いスーツケースと腰の痛みを考えれば、今回は致し方が無かった。

「シェシバタ」とか”OKONOMI”などという日本系の飲食店のある裏道はスクムヴィットsoi38だった。そのまま北上をすれば、そこはトンローの駅である。途中、渋滞に阻まれたにもかかわらず、時刻は16時10分。案外はやい行程だった。

とにかく取りあえずは休みたい。スクムヴィット通りの北側に渡り、いくつも並ぶマッサージ屋のうちの一軒に入る。そして2時間のオイルマッサージを頼む。料金は950バーツ。オネーサンには200バーツのチップ。

帰国日の夕刻に、なぜ取りあえずトンローまで来るかといえば、理由はふたつある。ひとつは、できるだけ東、つまり空港に寄ったところからタクシーをつかまえると渋滞に阻まれづらいこと。もうひとつは「55ポーチャナー」の外の席でバンコク最後の食事をするためだ。

マッサージ屋を出てsoi55つまりトンローの通りを渡る。そのまま歩き続けて55ポーチャナーの、店の外に並べられたテーブルのうち最も東の席に着く。すこし離れた食器洗い場から「いや、まだ」という顔を従業員のひとりがする。僕は腕時計を指し「分かってる」と、こちらも頷いてみせる。タイ人の女の子のふたり連れは店員に何ごとか訊き、やはり外の席に着く。そして18時30分の開店を待つ。

そうするうち、東洋人の中年のカップルが向かい側から歩道を歩いてくる。オートバイがその女の人の真後ろに差しかかったあたりで警笛を鳴らす。女の人は驚き、大きな声で悲鳴を上げた。それに対して男の方は更に大きな声で怒鳴り返した。内容は想像がつく。「やだなぁ」と、思わず小さな声を漏らす。彼らの言葉がどこのものかは分からない。そしてタイ人の男は僕が知る限り、女の人を怒鳴りつけるようなことはしない。

外のテーブルで待っていた人たちは、開店と同時に店内に移動をした。歩道を往ったり来たりしながら待っていた人たちもまた、店の中に吸い込まれていく。彼らに先を越されては僕の料理が遅くなる。赤く染めた髪を妙な具合に結んだいつものオネーサンは、今日はいなかった。見慣れない若い女の子を呼び、先ずは春雨と烏賊のサラダを注文する。この料理をタイ語ではヤムプラムックという。その「プラムック」の発音が、これまた難しいのだ。プラの「ラ」は巻き舌にせずごく短く発声するから、ともすれば「パ」に聞こえる。「ム」は上の前歯で下唇を噛むことが肝要だ。それを昨年、タイ人に教わった。そのお陰か、今日はすぐに通じた

店の中は開店と同時に八分の入り。外のテーブルにいるのは僕ひとり。暑いところが好きだから南の国に来ているのだ。タイでの食事はできるだけ外でしたい。暑いとはいえ別段、死ぬほど暑いわけでもない。20時に差しかかろうとするころ、あたりは急に涼しくなった。食事の代金は420バーツ。チップは置かなかった。

トンローのパクソイから北へ向かって西側の歩道を往く。soi1のちかくなるあたりで車道に立つ。スクムヴィット通りから左折してきたタクシーが、僕が合図をする前から停まる。運転手が助手席のドアを開ける。僕はそのドアを充分に開いてスーツケースを助手席に載せ「スワンナプーム空港まで」と伝える。後席に乗り込むなり「ミーター、ナ」と運転手はルームミラー越しに僕を見た。こういう模範的な運転手もいるのだ。時刻は20時ちょうどだった。

トンローを北上し、センセーブ運河を渡る左側に”SAPHAN”と外壁に大書したカフェができている。建物は古い工場風ではあるものの、新しく作ったようにも見える。突き当たりを右折。そのペップリー通りのどこかで左折。次に右折。高速道路のようなところをタクシーは疾走するものの、有料の道ではない。

うつらうつらするうちふと気がつくと、タクシーは空港の出国階に近づきつつあった。3番のところで停めるよう言う。メーターは255バーツ。100バーツ札を3枚出して釣りは要らないと言葉を添える。運転手は外へ出て左へまわり、助手席からスーツケースを降ろしてくれた。時刻は20時38分だった。

20:51 タイ航空のオネーサンにより自動チェックインを完了。スーツケースの重さは16.5キログラム。いつもの倍である
21:05 保安検査場を通過。
21:08 出国審査場を通過
21:20 空港の本来の建物と、出島のような建物を繋いでいるシャトルトレインが発車。このシャトルトレインの速度はかなり高い。出島までの所要時間は2分。突き当たりを左へと歩いて行く
21:38 どん詰まりにちかいS104ゲートに辿り着く。
22:15 搭乗開始

搭乗券に示された55Cの席にザックを置き、歯ブラシを取り出し手洗い所へ行く。そこから出て席へ戻る途中、2020年3月のバンコクMGで一緒だったウチダリョウーイチさんに声をかけられて一驚を喫する。

23:11 “Airbus A350-900″を機材とするTG661は、定刻に26分遅れて離陸をする。
23:16 ポーンという合図の音と共に、椅子の背もたれを最大に倒す。上半身に寒さを感じて鼻と口にマスクをし、アイマスクもし、ウインドブレーカーのフードをかぶる。「まさか風邪じゃねぇだろうな」と、微かな不安を覚える。


朝飯 “THE ATLANTA HOTEL”の食堂”AH!”のトースト、コーヒー、フルーツの盛り合わせ(小)
晩飯 “55 Pochana”のヤムウンセンプラムックオースワンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

  

上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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