2024.6.12 (水) タイ日記(10日目)
先ずはトンローのsoi8とsoi9のあいだのガオラオ屋で朝食の動画を撮る。次はトンローのsoi2ちかくにあって、2016年に中国の高台を買った店で、気に入ったものがあれば手に入れる。続いて2時間のオイルマッサージで太腿の筋をほぐしてもらう。大体、そんなところだ。
マッサージ屋の開店が10時とすれば、ホテルは9時30分に出れば良い。いまだ1時間以上も間があれば、プールサイドで本を読もう。もうひとつ、往復で156段の階段を上り下りするなら、用事は一度にまとめた方が良い。おとといフロントに預けて240バーツを支払った洗濯物の回収、およびきのう着た服の洗濯も、朝のうちに頼んでしまおう。
フロントの、きのうまでとは異なったオバサンは、複写式の伝票を受け取ると”LOCKERS”という案内板の下の部屋に消え、出したときとおなじ、おとといまで泊まっていたホテルのランドリーバッグを僕に手渡した。そこまでは良い。オバサンは伝票を手に「代金はまだ払っていませんね」と言う。「この日に払ったけど」と伝票の日付けを指す。オバサンは「それは預かった日の日付です」と聞く耳を持たない。「メガネをかけたオバサンに払ったけど」と言い返すと「それでは調べておきます」と、仏頂面である。伝票は返すよう手を伸ばすと「これを担当に見せて確かめます」と言う。複写式の伝票なら原本がフロントにあるはずだ。しかしオバサンは厳しい表情を崩さない。
そのままプールサイドで本を読む。泳ぐことはせず、小一時間ほどして部屋に戻る。
トンローへ向かうためふたたび階段を降りる。すると先ほどのオバサンは、今度は表情を180度かえて「代金はいただいていたそうです」と笑みを浮かべた。日本なら平身低頭の詫びが必要な場面だ。しかしここは「マイペンライ」の国である。このホテルで手書きの伝票を介して金銭のやり取りをする場合には、そこに必ず”PAID”と書いてもらう必要がある。
ホテルからsoi2の路地に出て北を目指す。声をかけてくるタクシーの運転手はいるものの、駐車して客待ちをしているとうことは、いわゆる一発狙いに決まっている。そのまま歩き続け、スクムヴィットの大通りが見えてきたところで左手のプルンチットセンターに入る。冷房の効いた館内を横切りつつ涼む算段である。空は晴れている。気温はそれほど高くなく、湿度は低い。バンコク最良の天気である。きのうモタサイでこなした1キロメートルを、今日は歩き通した。
プルンチットのプラットフォームから、あたりを眺める。直下に、奥にスイミングプールを備えた「ヴィラ」と呼ぶべき邸宅を見つける。一体全体、どのような人が住んでいるのだろう。ただし今となっては、高層のコンドミニアムの方が過ごしやすい気はする。
東へ4駅のトンローには10時6分に着いた。soi1のちかくに赤バスが駐まっている。乗り込んで、運転手に20バーツ札を差し出す。お釣りは12バーツ。つまり「ひと乗り8バーツ」は、コロナの前から変わっていない。 10時18分に発車したバスから外の景色を注意深く見る。骨董屋はいまだ開いていなかった。外を観察していたつもりが、soi9を過ぎてから天井の停止ボタンを押す。バスはグランドセンターポイントの前で停まった。
セブンイレブンと、向かって右は薬屋らしい建物のあいだに店を出したガオラオ屋は健在だった。数段の階段を上がったところで調理をしているオヤジの背中に「ガオラオは大盛り。ごはんは不要」と伝える。テーブル脇の壁、つまりセブンイレブンの外壁には、ガオラオは45バーツ、その大盛りは50バーツ、ごはんは5バーツ、その大盛りは10バーツの貼り紙があった。味は、コロナの入りばなだった2020年3月と変わっていない。旅をする者に与えられる、小さな幸福である。
トンローのパクソイに戻りながら、今度は通りの左側を往く。骨董屋は幸いシャッターを上げていた。この店の経営者は注意深く、引き戸には常に鍵をかけている。それを解いてもらって中に入る。引き戸のガラスにはマスクをするようシールが貼ってあったが、それはコロナ全盛のころのものを剥がしていないだけ、と解釈をした。第一、僕はマスクを持っていない。すると店の奥から女の人が現れて、なかなか高級そうな使い捨てのマスクをくれた。
マスクをして店の中を見ていく。呼吸により眼鏡が曇って不快である。それほど遠くないところで寝椅子のオバーサンが、マスクをしないまま気味の悪い咳をしている。かなり時間をかけて品物を見たものの、今回は欲しいものがなかった。中国の古い磁器よりも、どうやら名もない陶片の方に、より惹かれてしまう自分がいるらしい。
2020年3月、僕はウドンタニーにいた。オイルマッサージの値段が1時間350バーツと伝えると「それはバンコクの水準にくらべても高い」と、コモトリ君は言った。現在、トンローのオイルマッサージの値段は2時間で950バーツから、上は1,000バーツを軽く超える。BTSでひと駅を移動して、先週の金曜日にかかったマッサージ屋へ行く。そしてオイルマッサージを2時間、足の角質削りを30分、頼む。代金は1,150バーツ、オバサンには250バーツのチップ。
ホテルへ戻り、そのまま食堂の”AH!”に入る。そして西瓜のジュースをグラスではなくジャグで頼む。ジュースは1リットルまではいかないまでも、かなりの量があった。食堂のオネーサンは僕のために、扇風機の回転速度を最大に上げてくれた。本を読むうち、気づくと外には驟雨が降っている。危ないところだった。
“AH!”のメニュには朝食のためのあれこれの他、洋食はサンドイッチとフライドチキンとショートパスタ、タイ料理は多種の焼飯、多種のカレー、サラダは2種類ほどがあった。ビールはシンハ、チャン、リオの3種類を揃えているものの、オネーサンによれば、ワインは置いていないとのことだった。ジャグの西瓜ジュースは120バーツ。オネーサンには20バーツのチップ。
17時52分にふたたび外へ出る。スクムヴィットの大通りを歩道橋で渡りながら、この時間には西から東へ向かう三車線のうち二車線を、逆に東から西へ向かうクルマのために割いていることを知る。
おとといとおなじ店で今日はチムジュムを注文する。2019年のチェンライのチムジュムは、いまだ100バーツだっただろうか。そのころバンコクの屋台のチムジュムは200バーツだった。そして今日のチムジュムは、ひとりでは食べきれないほどの具の多さではあるものの、価格は450バーツになっていた。ソーダとバケツの氷を含めた代金は546バーツ。釣銭のうち4バーツはそのまま残す。
朝飯 トンローのsoi9のすこし南にあるガオラオ屋のガオラオ(大盛り)
晩飯 “Ja Aree Seafood”のチムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)