トップへ戻る

MENU

お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

2024.6.10 (月) タイ日記(8日目)

きのうと変わらず0時と1時のあいだに目を覚ます。起きてきのうの日記を書いたり、疲れてベッドに戻ったりを繰り返す。バンコクに入って日記の面白い、というか悪くない推敲、校正の方法を身につけた。机のコンピュータで完成させ、公開した日記をベッドに仰向けになってiPhoneで読むのだ。旅の最中の日記は長くなるから、変換違いや書き直しによる文字の削り忘れも見逃しがちだ。書く道具と読む道具を変えることにより文章への客観性が増す、ということが今回の発見である。

5時を過ぎるころに荷作りを始め、数十分かけてそれを終わらせる。外が明るくなるころ外へ出て、どうしても思い出せない、きのうの夕食の店の名を確かめるため、スラウォン通りを行く。パッポン2の入口にあるマリファナ屋の名が洒落ている。持ち主はレハールのオペラのファンなのかも知れない

部屋に戻ってきのうの夕食の場所の名を日記に入れ「公開」ボタンをクリックする。シャワーを浴びて、上は糊の効いた長袖のシャツ、下は紺色のパンツに黒い靴下。引き出しに温存したコードバンのベルトを締め、革靴を履く。その姿を鏡に映して「正に、馬子にも衣装だ」と感じる。

「しくじったらシャレにならない」ということが、旅の最中には次々と、まるでハードルのように前から近づいてくる。今日の午前に控えるそれは、この10日間でも、もっとも大きなものだ。朝食は、思いがけないことで失敗する確率を限りなく減らすため、別棟の高級ホテル”The Rose Residence”の食堂”RUEN URAI”で摂る

9時23分に外の通りでタクシーをつかまえる。先日とは異なって、今日の運転手は僕の行き先「サパーンタクシン」を一発で聞き取った。しかしその後がいけない。首都のタクシーの運転手は、家族や友人とスマートフォンで雑談を交わしつつ運転をする例が、僕が気づいた限りでは昨年から増えた。運転手のその声が、スマートフォンのマイクへのものなのか、それとも客である僕への話しかけなのかの判断がつきづらいのだ。「右折」ということばが聞こえたので「左折でしょ」と返したところ、それは僕へ向けてのものではなかった。

今日の運転手は先日の運転手よりも早く、チョノンシーの運河にかかるところで左折をした。その先の、BTSの高架が大きく右へ進路を変える真下の、サトーン通りとの交差点で渋滞に巻き込まれる。ここで時刻は9時30分。仕事は本職に任せることの好きな僕も「スラウォン通りをもうすこし先まで直進した方が良かったんじゃねぇか」と恨めしく感じる。

ようやく渋滞から抜け出して道は流れ始め、やがて立体交差が迫る。と、運転手は何を思ったか「タクシン橋は渡るか」と、左手を山なりに動かす身振りをした。

「メチャイ、チャルンクルン、リャオ、クワー」
「チャルンクルン、リャオ、クワー?」
「チャイ」

まったく慌てさせる運転手だ。チャルンクルン通りとの丁字路を右折し、BTSの高架をくぐる瞬間に今度は左折の指示。運転手はあわててハンドルを左に切る。霧雨が降っている。「パイ、ターイ、ソーイ」と僕は、覚えたばかりのタイ語で路地のどん詰まりまで行くよう言う。サトーンの船着き場に着いたのは9時47分。メーターは97バーツだったから100バーツ札を渡しておつりは無し。「遅れるわけには絶対にいかない」という用事のあるときには、首都では鉄道を使うべきだろう。

約3時間後の12時44分に、チェックアウトを済ませてふたつの荷物を預けておいたホテルに戻る。貴重品の入ったポーチをスーツケースからザックに移し、それを背に共用のトイレで手を洗う。

ここで余談ながら。東京は1964年の東京オリンピックを前にして、運河の上に高速道路を架けた。これにより各所で空が失われた。バンコクは大きな通りの上に高架鉄道を作った。そのことにより、やはり同じく各所で空が失われた。スラウォン通りの上には幸い、高架鉄道は敷かれなかった。そのことによりこの通りはいまだ、むかしの面影を留めている

昼のスラウォン通りは西から東への車線が渋滞する。その渋滞の中をタクシーが近づいてくる。タイのバスやタクシーは手を挙げるのではなく、腕を45度ほど下に伸ばして停める。運転手が車内から助手席を示す。スーツケースはトランクルームではなく助手席に載せろ、ということなのだろう。即、それに従い、今度は後席のドアを開けてすばやく乗り込む。

「スクムヴィットソイ2」と行き先を告げる。運転手は「150バーツ」と、取りあえずは自分の希望を述べる。「ミーター、ナ」と答えると「ミーター、オー」と、運転手は逆らわずにメーターのスイッチを入れた。初乗りの料金は35バーツ。

ラマ四世通りに出たタクシーは、MRTのクロントイ駅の直前で左折。高速道路に沿った寂しい道からプルンチットセンターの敷地内へと右折する。「この運転手は道を知っている」と、ここにきて初めて安心をする。soi2のどん詰まりにあるホテルには13時20分に着いた。メーターは89バーツ。100バーツ札を手渡して釣銭は不要と伝える。

1952年、ドイツ人の薬学博士により作られたアトランタホテルは、宿泊客以外の入館を固く拒んでいる。宿泊客以外はロビーにも入れず、食堂で食事をすることもできない。ただし犬また猫は自由に出入りができる。天井で扇風機の回る古風なロビーはとても美しい。チェックインには、大時代的な、長たらしい文字の記入が要求される。フロントの照明は、文字を書くための充分な明るさを提供していないから、近視、乱視、老眼の人は苦労をするだろう。各種の支払いはすべて、その都度、現金により行われる。宿泊料は、これから僕が滞在しようとしている、冷房を備えないもっとも安い部屋で税込900バーツ。3泊分の2,700バーツはもちろん現金で支払った。

僕はこのホテルにベルボーイのいないことを恐れた。エレベータが無いのだ。しかしそれは杞憂だった。ベルボーイはシサッチャーナーライの窯跡から拾って来た陶片、および3本のラオカーオを入れたスーツケースを肩に担ぎ、最上階である5階まで上げてくれた。ちなみにロビーから5階までの階段は78段。ベルボーイには50バーツをチップとして渡した。

部屋は5メートル四方くらいの広さで、ベランダが付いている。シャワー室の壁はタイルが新しく、とても清潔だ。トイレの便器と水タンクは古風な意匠を保っている。貴重品入れは鉄製の机に溶接した鉄の箱で、鍵は客の持参による南京錠で閉める。錠を失くしたらパスポートもお金も取り出すことはできず、帰国もままならなくなるから、錠の隠し場所場所はノートに覚え書きした。

ドアの外側の取っ手に提げる札の”DO NOT DISTURB ME”には”THIS MORNING”と続けられている。恐らくは「午後まで寝ているなどの怠惰なことはしないように」とのことなのだろう廊下の非常口の表示を辿っていくと屋上に出るための木造のハシゴがあった

部屋の中は蒸し暑く、扇風機を3段階の最高速で回しても、からだは汗まみれのままだ。シャワーを浴びると一時は涼しくなるものの、すぐにまた汗が吹き出す。「そんなホテルになぜ泊まる」と問われれば「仕事と勉強を除く挑戦、および痩せ我慢が好きだから」と僕は答えるだろう。

きのうまでの洗濯ものを、このホテルにはランドリーバッグなど備えないから、今朝までのホテルのそれに入れてフロントまで持っていく。先ほどチェックインの手続きをしてくれた感じの良いオバチャンは中味をひとつずつ数えつつ計算をしれくれた。A4の伝票を確かめると、初日からきのうまで首に巻いていたスカーフの代金を入れ忘れている。それを指摘するとオバチャンは”Already”と笑って、その分を伝票に新たに記入することはしなかった。洗濯代の240バーツも現金払い。「いつもニコニコ現金払い」は、むしろ気持ちが良い

部屋とロビーの往復には計156段の階段の上り下りを必要とするから、複数の用事は頭の中で入念に組み立てる必要がある。「あ、忘れた」と、ふたたび部屋まで戻れば、またまた計156段の上り下りが発生するからだ。

その階段を降りて17時07分に外へ出る。soi2を北に歩いてスクムヴィットの大通りまでは8分がかかった。バンコクには。このような極端に細長い袋小路がそれこそ無数にある。袋小路だけに、となりの小路への抜け道は無いことが多い。

スクムヴィット通りの北側、soi1ちかくにある、屋根だけの、まるで倉庫のように巨大なメシ屋に入って、先ずはソーダとバケツの氷を注文する。目の前には大通りの喧噪がある。日本の夏の夕刻とおなじほどの気温が心地よい。

日本語なら春雨と海の幸のサラダとでもなる品は、きのうの店のそれの数倍の量があった。浅蜊の香辛料炒めがあるか否かをオニーチャンに問うと、オニーチャンは分厚いメニュ表を開き、作れる旨を示した。今夜の代金は492バーツだった。おつりのうち小銭の8バーツはその場に残した。

先ほどのオニーチャンにセブンイレブンの場所を問うと、何とそれはメシ屋の隣にあった。そこで1.5リットルの水を14バーツで買う。そしてそれを小脇に抱えてホテルまでの道を辿る

78段の階段を上り、部屋には18時43分に戻った。シャワーを浴び、パジャマを着る。それほど酔ってはいないため、ベッドに仰向けになり、iPhoneで調べごとをする。天井の扇風機の回転速度は最低にしておく。就寝した時間については、特に覚えていない。


朝飯 “RUEN URAI”の朝食其の一其の二其の三其の四
晩飯 “Ja Aree Seafood”のヤムウンセンタレーホイラーイパットナムプリックパオラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

  

上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009

2008

2007

2006

2005

2004

2003

2002

2001

2000