2024.6.8 (土) タイ日記(6日目)
今朝の食事は趣向を変えて、ホテルで摂ってみることにする。プールサイドにはランナー様式の木造建築があって、朝食はそこで供されているはずだ。ところが近づくと、中に人はいない。フロントに戻って確認をする。「外へ出て右へおまわりください」と、オネーサンは教えてくれた。
そこにはおなじ系列の、しかし僕のいる棟より遥かに高級なザローズレジデンスがあった。1960年代はじめに造られたらしい建物は、コロニアル調である。その玄関の重い扉を押す。右奥に食堂らしい入口が見える。歩を進めると、とても若くて綺麗なオネーサンが「屋内がよろしいですか、それとも屋外がよろしいですか」と笑顔を向けた。「外がいいですね」と答えて食堂を横切り、戸を引いて庭に出る。そこには名を知らない大木に混じってリラワディが枝を広げていた。
寛いで食事をする僕の足元に複数の猫が来る。タイのコンビニエンスストアの前には、客が出入りをするたび外へ流れ出す涼風を求めてか、犬の寝ていることが多い。それを追い払う人はいない。僕は一向に平気だが、犬嫌い、猫嫌いはタイにはいないのだろうか。まるで五代将軍の時代の江戸のようだ。
昼から夜にかけてはバンコクに住む同級生コモトリケー君と過ごすべく、9時30分に部屋を出る。スラウォン通りの歩道には、たくさんの屋台が並んでいる。そこからの香草やココナルミルクの香りを胸一杯に吸い込みつつ西へ歩く。
時にはタクシーも使おうと、サラデーンの方から近づいて来たタクシーを停める。時刻は9時38分。「サパーンタクシンまで行きたい」という僕の言葉を運転手は聞き取れない。4度、5度と繰り返して「サパーンタクシン」と運転手は確かめる。僕は「そうです」と答えて焦燥から解き放たれる。
10年ほど前に「サパーンタクシンのタクシンと、追放された政治家のタクシンの発音は、おなじですか」とタイ人に訊いてみた。「そりゃぁ、全然ちがうでしょう、タークシンとタクシンです」と相手は発音の違いを聞かせてくれたものの、僕にはよく分からなかった。「タイ文字を覚えると発音のしかたも分かる」とコモトリ君は言う。しかし今からタイの文字を覚えることは、僕には荷が重い。
タクシーの料金は51バーツだった。硬貨は嵩張るから財布には入れていない。50バーツ札と20バーツ札を出すと、運転手は「これでいいね」という顔をする。チップとしては多すぎると感じたものの、そのままタクシーを降りる。スラウォン通りからは9分の行程だった。
コモトリ君のコンドミニアムの舟は10時10分に来ると、知らされていた。いくつものホテルの舟に混じって10時12分に来た舟は、タイ文字の旗を立てているのみだ。一時、舟を係留するため桟橋に降りたオニーチャンに、コンドミニアムの名を伝えてみる。オニーチャンは2度目に頷いたから「まぁ、大丈夫だろう」と、舟に乗り込む。ただしコンドミニアムが間近になるまでは、少々の不安と共に波に揺られていた。
昼から夜にかけて僕と過ごすはずだったコモトリ君には急用ができたとのことで、昼食の後は右と左に分かれた。僕は街のマッサージ屋で時間をつぶすこととして、どこにでもあるようなマッサージ屋の戸を引く。からだをへし曲げ、関節をやたらと鳴らすタイマッサージは、月にいちどかかる「伊豆痛みの専門整体院」のワタナベ先生に禁じられている。2時間のオイルマッサージを頼むと、真っ黒でしわくちゃのオバーサンは2階へ行くよう促した。
マッサージが終わるころ「どこから来たの」と、担当のオネーサンに訊かれる。「このちかくから」と答えると「ニワトリ?」と、オネーサン不審な表情をする。「ちかく」はタイ語は「カイカイ」。オネーサンはそれを、鶏を意味する「ガイ」と聞き間違えたのだ。まったく難儀なことである。
コモトリ君とは15時45分に部屋で合流をして、夕刻よりタイの家庭料理をご馳走になる。そうしてコンドミニアム19時発の舟でサパーンタクシンに戻る。そこからシーロムまでは高架鉄道BTSを使う。シーロム通りからスラウォン通りまでは盛り場のタニヤを歩く。
部屋に戻ったのは19時45分。冷蔵庫には、きのうのゼロ本から、今日は3本のミネラルウォーターが納められていた。シャワーを浴び、水を飲み、パジャマを着て20時すぎに就寝する。
朝飯 “RUEN URAI”のトーストとコーヒー、サラダ、エッグベネディクト
昼飯 「ミットフォーマーチャイ」のカオソイ(小)
晩飯 市販のシューマイ、コモトリケー君手作りのゲーンチューダオフー、同パットガパオムーサップ、メシ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)、マンクット