2024.6.7 (金) タイ日記(5日目)
きのうの夜はおとといの夜と大して変わらず、いまだ日の変わる前の23時38分に目を覚ましてしまった。就寝時間が早すぎるのだろうけれど、夜遊びには興味が無く、早朝に日記を書くことが趣味であれば、どうしても現在のような時間の使い方になるのだ。それでも「前夜」のうちに目が覚めては早すぎる。何とかならないものだろうか。
スラウォン通りから80メートルほど奥に入ったこのホテルまで、表通りを行くクルマの排気音が聞こえてくる。雨が降っている。朝まで降り続けば厄介だ。そう考えてカーテンを引く。目の前の路地は濡れていない。旧いホテルの窓枠は木製で、広く開くことができる。トタン屋根に雨の落ちるような音は、隣のビルの屋上に置かれた室外機によるものだった。
薄い金属板を積んだリヤカーが路地を近づいてくる。しかしこんな夜中にそのような仕事をする人がいるだろうか。ふたたび起きて窓を開ける。その音もまた、隣の建物の室外機から聞こえてきていた。どこかのパネルが外れたままになっているではないか。
シサッチャーナーライでは鳥と爬虫類と虫の声だけが聞こえた。バンコクで聞こえるのはクルマと機械の音ばかりである。そして夜になれば、そこに嬌声が加わる。
6時前にホテルを出て、裏の路地からラマ四世通りに出る。お粥の”JOK SAMYAN”までの距離はGoogleマップによれば1キロメートルと少々。徒歩で往復するつもりでいたものの、路上にはモタサイの運転手が屯していた。即「ソイ・チュラロンコン11」と告げて後席の客になる。モタサイはとても危険な乗り物ではあるけれど、安楽さや手っ取り早さには勝てない。
ジョークサムヤーンでは、豚の内臓とピータンのお粥を注文した。すると日本語のできるオネーサンがメニュを持って来て「ミックスでなくていいですか」と訊く。多分、それが一番の人気なのだろう。僕は「クルアンナイとカイヨーマーのお粥でいいんです」と、当初の注文を通す。朝から臓物が食えるのは、僕のような臓物好きには嬉しい限りだ。
今日の予定は10時までにプロンポンに着いて、足の角質取りと脚のマッサージをしてもらうこと。次はおなじプロンポンにあるベトナム式の床屋で爪切りや顔剃りをしてもらうこと。それが済んだらゲートウェイエカマイの1階にあるマックスバリューでラオカーオ”BANGYIKHAN”を買うこと。その3件のみだ。
いまだ時間があるため、ことし新調したパタゴニアのバギーショーツを身につけプールサイドに降りる。このホテルのプールサイドにはきのうの日記に書いた、寝椅子と日除けが整っている。その寝椅子の背もたれを調整して仰向けになり、本を開く。ところが、である。蠅が多いのだ。払っても払っても常に4、5匹がたかってくる。堪りかねて足全体にバスタオルをかける。すると今度は腕や顔にたかる。「こりゃぁダメだ」と、ものの数分で退散することを決める。スイミングプールについてはバンコク後半の宿に期待するしかない。そこもまた蠅だらけだったらどうしよう。
部屋のベッドでまどろみながら、9時15分に設定したアラームに目を覚まされる。プロンポンまでは30分もあれば行けるだろうと踏んでいたものの、準備に時間がかかって9時40分に部屋を出る。
プロンポンに着いて、むかし家内とかかったことのあるマッサージ屋を目指す。場所はよく知っていたつもりが、スクムヴィット通りを往ったり来たりする。ようよう見つけて「soi39のひとつ西だったか」と、曖昧だった記憶を更新しようと努める。
足の角質けずりと脚マッサージの90分のコースは450バーツ。角質けずりから脚マッサージに移ったところで、それまで読んでいた本を閉じる。オバサンは骨と皮だけの痩身ながら、手の力は異常に強い。土踏まずの筋をこすられてその痛みに顔をしかめると、オバサンは小さく笑った。オバサンには150バーツのチップ。
タイは自由放埒な国と思われがちではあるけれど、酒とタバコに対する規制は日本よりよほど厳しい。酒は11時から14時、17時から24時までのあいだにしか買うことはできない。当初の予定では、プロンポンのマッサージ屋に10時に入って90分、そこから徒歩5分のベトナム式床屋で90分を費やしても、BTSでふたつ隣のエカマイで14時までに酒を買うことは可能と目論んでいた。しかしマッサージ屋には入れたのは10時25分だったから、当初の計画には無理が生じた。
移動の合理性は削がれるものの、先ずはエカマイを目指すこととした。そして駅と直結しているゲートウェイエカマイ1階のマックスバリューにて無事に、これまで飲んだラオカーオの中ではもっとも好きな”BANGYIKHAN”3本を手に入れる。僕の知る限り、このお酒はバンコクではBig-C、ピンクラオのパタデパート、そして今日のマックスバリューでしか手に入らない。価格は1本あたり157バーツ。タイバーツの現金は必要以上に持ち合わせているものの、クレジットカードを使えるところでは、それで支払うこととしている。
ふったびポロンポンへ戻ると昼が過ぎていた。朝食の時間が早かったこと、食べたものがお粥だったところから、いささか空腹を覚えている。2017年に初めて入った汁麺の名店「ルンルアン」は目と鼻の先だ。近づいていくと、出前を請け負ったGrabのオートバイが車道に密集している。客はテーブルに鈴なりである。外のテーブルのひとつに近づいて、既に座っている女の子に声をかけると、友だちが来るという。もうひとつのテーブルのオネーサンにおなじく声をかけてみる。オネーサンはニッコリ笑ってくれたから相席をさせてもらう。
7年前にはそれほど混み合わない店で僕の注文を笑顔で受けてくれたオニーサンが、今日は懸命に調理をしている。従業員の数はもちろん増えている。僕の注文は7年前とおなじバミーナムトムヤム。頬に白い粉を付けているから出身は近隣諸国なのか、あるいはタイでも東北の国境ちかくの出なのか、オネーサンはメニュ表を見せて器の大きさを問うた。タイの汁麺の本来のサイズはSのはずと、オネーサンにはそのアイコンを指し示した。
日本のラーメンの丼が大きくなったのは、1970年代に南下してきた札幌ラーメンの影響と、僕は考えている。バンコクの汁麺において、店によっては以前のピセーットつまり大盛りより大きな器が選べるようになったのは、ひとえに外国人観光客の要望によるものと思う。
今朝のお粥にしても、昼の麺にしても、名店と普通の店の味に極端な差は無いと、僕の舌は感じる。ただし名店と呼ばれる店が運を味方につけ、更に努力を続けていることは疑いようもない。ルンルアンの柱と壁には2018年以来のピブグルマンの表示が並べられていた。
ベトナム式床屋の90分で800バーツの価格は安いと感じた。店の設備は「こんなに金をかけては回収が大変だろう」と感じるほど充実していた。オネーサンには釣銭の200バーツをチップとして渡した。
プロンポンからアソークまではBTS、アソークで乗り換えたスクムヴィットからサムヤーンまではMRTで帰ってくる。BTSではこれまでその都度、1回限りのカードを現金で買っていた。しかしいささか面倒になってきて、今日は往路のアソークでRabbitカードを作った。その際、窓口のオネーサンには500バーツのトップアップを頼んだ。デフォールトで付いてくる100バーツでは、いくらも保たないからだ。カードのデポジットは100バーツ。有効期限は7年。改札口でのタッチ感度は、日本の交通系電子カードより鈍く、革製のカードホルダーに入れた状態では感知してくれなかった。
MRTは、このところクレジットカードを交通系電子カードとして使えるようになったとどこかで読んだため、それを試してみた。改札口でのタッチ感度はBTSとおなじく、革製のカードホルダーに入れた状態では感知してくれない。クレジットカードを駅の改札でむき出しにすることにも不安を覚える。しかし人は、結局は便利さに転ぶのだ。日本のSUICAやPASMOのような、BTSとLRTの共通カードが出てくれるのを待つばかりである。
15時40分に部屋に戻る。掃除を終えた部屋には、きのうとは逆に、3枚のバスタオルがあった。しかし冷蔵庫の水は補充されていなかった。このホテルのサービスにはアラが目立つ。フロントに降りてその旨を伝えると、間もなくオジサンがガラス瓶2本を持って来てくれた。ホテル側の不備にてチップは渡さなかった。
ラオカーオの在庫は充分になったものの、今日は趣向を変えてビストロへ出かけることにした。気温は日本の真夏の夕刻と変わらず、スラウォン通りまでの路地を気持ち良く歩く。
盛り場の、まるで貨車のような作りの店ではハウスワインの白を、メニュにはなかった500ccのカラフでもらう。「今日のお勧め」のポークシチューには心惹かれたものの、アンドゥイエットを注文しながら量を問うと、オニーサンは僕の腹具合を確認しつつ「大丈夫」と請け負った。
「楽だなー」と毎日、心がほぐれる。500ccのワインで「マオレオ」つまり既にして充分に酔ったものの、最後にリカールのパスティスを頼む。生で注文したそれは、オンザロックスに水を添えて運ばれた。まぁ、それがこの店のスタイルなのだろう。伝票の数字は1,040バーツだったため、1,100バーツを置いて店を出る。
部屋には18時40分に帰着。シャワーはもちろん浴びただろう。覚えていることは、何も無い。
朝飯 “JOK SAMYAN”の豚の内臓と皮蛋のお粥(画像は食べはじめた後のもの)
昼飯 “Lan Luang”のバミーナムトムヤム
晩飯 ”French Kiss”のアンドゥイエット、カラフの白ワイン、リカールのパスティス(オンザロックス)