2024.6.6 (木) タイ日記(4日目)
19時に就寝をすれば、目覚めも早い。「もう3時ごろになるだろうか」と枕頭のiPhoneを引き寄せたところ、いまだ日の変わる前の23時23分で、大いに焦った。昼夜逆転にも程がある。明かりを落として掛け布団を胸元まで引き上げ静かにするうち、いくらかは眠れたものの、いくらも眠れていないとも言える、それは短い時間だった。
夜が明ける前から荷作りを始め、すぐにでも部屋を出られる体制を作る。その上で水を飲んだり、あるいは持参した粉末スープを湯に溶かして飲んだりする。
スーツケースを曳きザックを背負って6時19分に外へ出る。食堂へ行くと「アハーン」と訊きつつ調理係のオバサンがものを食べる仕草をする。6時20分を指す腕時計をオバサンに見せる。「あー」と、オバサンは当方の時間の無さを理解したようだった。それでも「食べられるなら」と、トースト2枚を焼きつつ粉末のコーヒーと砂糖をカップに入れ、湯を注ぐ。オバサンは別途、ミネラルウォーターと出来合いのデザートを持って来てくれたものの、それには手は付けなかった。
「6時30分にタクシーが迎えに来るから、それより前にチェックアウトしたい」ときのう伝えたオネーサンが、やがてきのうとおなじTシャツを着て現れる。「ランドリー」とタイ風のイントネーションで確かめると、オネーサンは何かを思い出そうし、ややあって「そう言われてみれば」という感じで「あーあ」と声を出した。
オネーサンは、今朝は自動翻訳のためのスマートフォンを持ち合わせていない。よって「いくら」とタイ語で訊ねる。オネーサンはすこし考えて「20バーツ」と計算をした。
洗濯ものは、おとといに5点、きのうは3点を出した。その際に洗濯代を訊ねたところ、オネーサンはスマートフォンにタイ語を呟き、ディスプレーには「1点あたり20バーツ」と英文が浮かんだ。20バーツが8点なら160バーツだろうけれど、僕はオネーサンに言われるまま20バーツを支払った。このホテルには組織も伝票も何も無い。大丈夫なのだろうか。
6時30分にホテルの前に立つ。初日、6時30分の迎えを予約し、お金も払ったタクシーが来なかったらどうするか。しかし東の方から右にウインカーを出しつつそれらしいクルマが近づいて来たから胸をなでおろす。時刻は6時31分だった。
運転手は来たときとおなじ太ったオネーサンだった。しかしクルマはスズキからホンダに変わっていた。安全ベルトにドラえもんのカバーが付いていたり、ルームミラーに前方視界を遮るほどの数珠が提げてあるところからすれば、このクルマはオネーサンの私用車なのかも知れない。広い道に出るとホンダ車は時速80キロメートルを保って走り続け、空港には7時ちょうどに着いた。オネーサンには初日の分も含めて100バーツのチップを手渡した。
7時03分にチェックインを完了。すぐ脇の保安検査場では、スーツケースからザックに移したアロエジェルを「容量過剰」として没収されてしまった。それは昨年、ハジャイでひどく日焼けをした皮膚を鎮めるため、バンコクの薬局で買ったものだった。
08:25 ボーディング開始
08:29 屋根だけの電動バスで飛行機の際まで運ばれる。
08:30 飛行機のタラップを上がる。
08:41 “ATR72-600″を機材とするバンコクエアラインPG212は定刻より14分も早く離陸する。
09:14 これから30分でスワンナプーム空港に着く旨のアナウンスがある。
バンコクの近郊には極端に細長い矩形の農地が目立つ。その区画に工場や住宅の建てられたところも見える。機は徐々に高度を下げていく。
09:46 PG212は定刻より24分も早くスワンナプーム空港に着陸。全62席に対して、乗客は来たときより少ない22名だった。
10:30 回転台からスーツケースが出てくる。
10:40 タクシー乗り場のある1階へ降りる。
タクシーの発券機まで歩く通路には大型車、近距離、普通と、3本のレーンがあったので、真ん中の”REGULAR TAXI”の線の内側を歩いて行く。発券機の前に立つオネーサンは僕の姿を認めるなり発券機のボタンを押し「どちらまで」と訊ねた。「スラウォン通り」と答えると、オネーサンは頷いて51番の紙を手渡してくれた。
51番の駐車スペースに近づくと、小柄な運転手が近づいてきた。トランクルームのドアは開いたままになっている。そこへ納めるべくスーツケースを持ち上げた運転手は、その重さにうめき声を上げた。
「スラウォン通り、メリディアンホテルのちかく」と運転手に告げる。運転手は振り向きざま「500バーツ」と値付けをした。昨年の4月とおなじである。「ミーター」と僕は返事をする。「ミーターならそれに50バーツを追加」と運転手はたたみかける。空港使用料の50バーツは常識で、そんなことは僕も分かっている。
10:50 高速道路上で渋滞に巻き込まれる。
11:02 作業車を追い越して渋滞が終わる。
11:05 最初の料金所で25バーツを運転手に手渡す。
11:15 2番目の料金所で50バーツを運転手に手渡す。
11:20 ラマ4世通りに降りるランプで、またまた渋滞をする。
スラウォン通りに入ったところで僕は頭の位置を低くし、フロントガラスから周囲の建物に注意を払う。メリディアンホテルの前に達したところで運転手はトヨタカローラを停め「ティニー、ナ」とルームミラー越しに僕を見る。「チャイ」と僕は返事をする。
335バーツのメーターに対して、釣りは受け取らないつもりで400バーツを差し出す。運転手は律儀にも15バーツを返してよこした。時刻は11時44分だった。
タクシーを降りたところはメリディアンホテルの前でも、僕が泊まるのはそこではない。スラウォン通りを渡り、すこしサラデーン側に戻ってラマ4世通りへの抜け道に入る。これから4日間を過ごす宿は、そこにある安いところである。
南国のホテルに滞在するとき、僕がもっとも重視するのは、寝椅子と日除けを備えたスイミングプールがあること。それが首都であれば、2番目には鉄道の駅にちかいことが挙げられる。タクシーはできるだけ使いたくないのだ。3番目の条件は価格の安さ、ということになる。
東京に出張するときはドヤに泊まる、という勉強仲間がいる。落ち着くのだという。僕はドヤには興味は持たないけれど、街の真ん中にある古びたホテルは好きだ。やはり、気分が落ち着くのだ。今日の宿の、グラスのためのコースターは使い捨ての紙製ではなく、律儀にアイロンを掛けられた白いクロスだった。
風呂場を見ると、バスタオルは2枚あるものの、普通のタオルが無い。よってちかくの部屋を掃除していたオバサンを呼び、普通のタオル2枚を持って来てもらう。ホテル側の不備により、チップは渡さない。
セキュリティボックスの扉が開かない。よってフロントに降りて、小さなオバチャマにその旨を伝える。やがて設備担当のおじさんが来る。オジサンはマスターキーを使って扉を開こうとするも、蝶つがいが狂っているのか、なかなか開かない。オジサンはそれをようよう開いて「扉を上に持ち上げるようにすれば開く」というようなことを僕に説明した。こちらもホテル側の不備により、チップは渡さなかった。
シャワーを浴びてひと息をつき、何がしたいかといえば散髪である。本来であれば、床屋には出発直前の今月1日にかかる予定だった。しかしiPhoneの修理に時間を取られて叶わなかった。その散髪を、この午後にはしようと考えた。
先ずは検索エンジンで見つけた、タニヤの床屋を目指す。ホテルからの距離は400メートル。しかし当該のビルのエレベータは反応せず、仕方なく階段を昇った4階のフロアには空き店舗がいくつかあるのみだった。どこかに移転してしまったのだろうか。
ホテルに戻る頃には顔に汗が吹きだしていた。しかしそのまま今度は、今夜の食事の場所を探るべく、ホテルのある路地”Soi Na Wat Hua Lamphong”に戻って奥を目指すと驚くなかれ、ホテルのすぐ裏に椅子ひとつを置いた床屋があった。その椅子には散髪中の客がいたこと、また汗だらけでは床屋に申し訳ないところから、取りあえずは部屋に戻ってシャワーを浴び直す。
改めて床屋に出直すと、客の姿は消えていて主もいず、人の良さそうなオジサンが椅子に座っていた。オジサンは待ち客に見えたものの、そうでもないらしい。オジサンは親切にも奥に声をかけつつ僕には鏡の前の椅子に座って待つよう言った。オジサンの声には「ファラン」という言葉も混じったが、僕はガイジンではない。
「どちらから」と英語で訊くオジサンに「日本から」と答えるとオジサンは「ワタシノガクセイジダイノセンコウハニホンゴデシタ。シカシツカワナイウチニズイブントワスレマシタ」と、とても端正な日本語を発した。正に、野に遺賢あり、である。
やがて現れた主は色の黒い、余計なことは話さず、しかし親切心は持ち合わせている人だった。タイで床屋にかかるときにはいつも「ナンバー2のバリカンで髪も髭も刈ってください」と頼む。今日もそうしたところ、どうも最初の「ゲタ」ではさっぱり刈れない。主はゲタを徐々に短くし、最後は仕上げ用の短いバリカンにこれまた短いゲタを取り付けた。僕は、床屋にはうるさい注文をつけない。主の腕は悪くなかった。仕上がりは満足のいくものだった。代金は400バーツとのことだった。
いまだ待ち客用の椅子にいるオジサンに「アリガトウゴザイマシタ。アナタハマダニホンゴヲワスレテイマセン」と礼を述べると、オジサンはいかにも嬉しそうにニッコリと笑った。
夕刻、バンコクエアの機内でもらったミネラルウォーターの、空にしたペットボトルにラオカーオを小分けする。そしてそれと本をセブンイレブンのエコバッグに入れて外へ出る。午後、ホテルの裏手に見つけたフットサル場のようなフードコートには、僕の気の向く店は無かった。よって表のスラウォン通りからパッポン2を抜けてシーロム通り、そこから道を渡ってコンベント通りに至る。僕の求める店の条件は、ソーダとバケツ入りの氷が頼めて、更に本が開けることだ。
いまだ17時40分であれば、緑のソムタム屋は空いていた。よって外の見える席に着き、はじめに一品、次にショーケースまで歩いてふた品目を頼み、それを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。
帰りは酔っているため慎重に、地元の人と一緒にシーロム通りを渡る。そして部屋に戻ってシャワーを浴び、きのうと大して変わらない19時すぎに就寝する。
朝飯 “Sisatchanalai Heritage Resort”のトーストとコーヒー
昼飯 “PG211″の機内食
晩飯 “Hai”のソムタムカイケム、ガイヤーン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)