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清閑 PERSONAL DIARY

2024.6.5 (水) タイ日記(3日目)

一度、寒さを覚えて目を覚ました気がする。1時間後に切れるよう設定したはずのクーラーが動き続けていたのだ。そのせいか、二度目に目を覚ましたときには喉に違和感があった。きのうの疲れが残っている、というわけではないものの、しばらくは横になったままでいる。数分後に時刻を確かめると1時23分だった。立って明かりを点け、専用の器にイソジンを水で薄めてうがいをする。

きのうパジャマ姿だったオネーサンは、今朝は上はキース・ヘリングの絵のあるTシャツ、下はジャージーのパンツを身につけていた。このホテルのランドリーは、洗いものをその日のうちに仕上げてくれることをきのう知った。よって今日も洗濯物をオネーサンに手渡す。また、明日は6時30分にタクシーが迎えに来る。だからそれよりも前にチェックアウトしたい旨を伝える。

このホテルには、フロントというものが無い。僕とホテル側の意思の疎通は、初日に迎えてくれたオネーサンと、朝、食堂にいるオネーサンのふたりのみ。残りの従業員は掃除のオバサン、食堂のオバサン、洗濯のオバサン、庭師のオジサンなどで、特に問題もなく運営をされているらしい。というか、とかくあれこれを問題視することの多い批判精神の旺盛な人は、ここには泊まれないだろう。

朝食の後は、きのうの日記を完成させて公開し、それをベッドに寝転んでiPhoneで読む。すると結構、いまだ校正が必要だったり、推敲の余地のある部分が見つかる。そのたび起きて化粧台ほどの小さな机に置いたコンピュータに向かい、文章の手直しをする。

朝食の皿には常に、5、6匹の蠅がたかっていた。日本にいれば気になることも、ここではそれほど気にならない。コンピュータを使えば、日本では見たこともない小さな蟻がディスプレーの上を横切っていく。そのたび持参した刷毛で、その蟻を払う。これだけ虫が多くても、蚊に刺されないのは不思議なことだ。

ベランダに出て目の前のヨム川と、その向こうに広がるジャングルを眺めるうち、バンコクエアラインから明日のフライトを知らせるショートメールが届く。日本を出る直前に新機に交換したiPhoneは、いまだバックアップから復元をしていない。だからこのSMSにはいささか驚いた。ウェブチェックインのためのURLも添えられていたため、即、それを済ませる。

旅の初日には18キログラムのスーツケースに辟易した。移動日である明日は、そのスーツケースをすこしでも軽くするため、衣類だけでもデイパックに移せないかと試してみる。また、いずれ起きてはいるだろうけれど、とりあえず明朝の5時ちょうどにiPhoneのアラームを設定しておく。

午後、部屋の扉がノックされる。開くと今朝のオネーサンが今朝の洗濯物を、オートバイで届けに来てくれていた。オネーサンには20バーツのチップ。とにかくタイでは、折に触れ心付けを手渡さないことには気が済まないのはなぜだろう。

今日は部屋掃除のオバサンは来ず、日に2本を約束されているミネラルウィーターも入らなかった。よって食堂へ行き、客席の冷蔵庫からその500ccのビン1本を取り出す。そしてちかくにいたオバサンに「今日の分」と身振りで示しつつ部屋に戻る。日本ではほとんど飲まない水も、南の国では必須である。

17時30分をまわったところで街道に出て、すぐ左手の食堂に今日も入る。風が吹いてくる。嫌な予感がする。店の若い人がふたりして、街道に面したシャッターを降ろす。空は晴れているにもかかわらず、雨が降ってくる。

ふた品を肴にしてラオカーオのソーダ割りを飲みつつ数十分が過ぎる。若い人は手慣れた様子で、今度はシャッターを上げる。降っていた雨は、やがて上がった。彼らは毎日、そのようにして店で売る雑貨を守っているのだろう。今日の勘定は160バーツ、心付けは20バーツを置く。

19時前に部屋へ戻り、シャワーを浴びて即、就寝する。


朝飯 “Sisatchanalai Heritage Resort”の朝の定食其の一其の二
晩飯 「プリィアオ」の卵豆腐の素揚げともやしの炒めパットママームーサップラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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