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清閑 PERSONAL DIARY

2024.6.4 (火) タイ日記(2日目)

素っ裸で目を覚ます。部屋の灯りは点いたままだったものの、クーラーは幸い切ってあった。時刻は1時。きのうの夜のことは、食堂でお金を払ったまでのことしか覚えていない。部屋へ戻り、シャワーを浴びるなり、ベッドカバーの上で眠ってしまったのだろう。

取りあえずは起きて、きのうの日記の続きを書く。旅の初日の日記はどうしても長くなる。「こんなものを誰が読むか」とは思うものの、これを書き上げないことには先へ進めないのだ。

4時15分に至って明かりを落とし、布団に潜ってみる。外からは鳥、ヤモリ、トッケー、また虫か爬虫類か鳥類かは分かりかねる、様々な声が聞こえてくる。そして眠れないまま6時にふたたび起床する。

きのうの日記を「公開」して、8時に食堂へ行く。きのう洗濯について訊ねたオネーサンが、タイシルクなのか化学繊維なのかは分かりかねるパジャマ姿で僕を待ち受ける。「パジャマで接客っ」などと驚いているようでは、タイを旅することはできない。そのオネーサンにきのう着たものを入れたプラスティック袋を手渡す。

オネーサンはスマートフォンにタイ語で何ごとかを呟く。ディスプレイには洗濯物の数を問う英文があった。「シャツとアンダーパンツと靴下の3点」と英語で答える僕の口元にオネーサンはスマートフォンを近づける。オネーサンはそのスマートフォンのディスプレイを見て頷いた。部屋の掃除についてもオネーサンは同様にスマートフォンを近づけた。僕は「ミネラルウォーターを2本とロールペーパーが欲しい」と英語で答える。オネーサンはディスプレイのタイ語を読んで、またまた頷いた。

「りざべーしょんふぉーかとーぷりーず」と、日本のビジネスマンがアメリカのホテルマンに話しかける、アメリカン・エクスプレスのテレビコマーシャルがむかしあった。「オー、ミスタカロー」と答えたアメリカ人は、テキサスの人だったのだろうか。テキサス人の英語だろうが日本人の英語だろうが、それを瞬時にタイ語に翻訳してしまう人工知能の優秀さには、舌を巻くばかりである。

今回、シサッチャナーライに来た目的は、ヨム川に沿った中世からの街道を自転車で遡り、42番窯と123番窯による博物館の周辺を散策することだった。ホテルからの距離は8キロメートル。今朝の天気予報によれば、最低気温と最高気温はそれぞれ27℃と33℃。降水確率は6パーセント。僕は目的を果たすことができるだろうか。

08:50 きのうの自転車でホテルを出発。街道はほぼ平坦。
09:00 “Tao-Mor Gate”を通過。疎林の作る日陰が心地よい。
09:05 “Ban Pa Yang Kiln Site”を通過。右手には日干し煉瓦による防塁、左手には環濠の跡が続く。
09:10 林を抜けて広い道に出る。右手の低いところにヨム川が望める。
09:23 大木の陰でひと休みをする。

09:29 博物館”Center for Study & Preservation of Sancalok Kilns”前を通過。
09:30 ふたたび疎林の中に入る。
09:35 “Ban Koh Noi Kiln Site”に入る
09:37 本日の目的地である、42番窯と123番窯を屋根で覆った博物館に到着。

ところで自転車による往復16キロメートルの走行を前にして、気になったのは水と手洗いについてだった。ホテルが部屋に置くミネラルウォーターはガラス瓶によるもので、フタの形状からして持ち歩きはできない。ナムパオ、つまりペットボトル入りの水を持参べきだろうけれど「欲しくなったら途中で買えば良い」と、高を括った。手洗いについては出たとこ勝負とした。

訪れる客は日に数名と思われる博物館の観覧料は100バーツ。入場券を手渡してくれたオバチャンは僕に屋内に入るよう促したが、その前にホンナム、つまり便所へ行きたい。その場所を訊くとオバチャンは数十メートルほども離れた、あずまやのような建物を指した。即、早足で近づいて用を足し、そのついでに顔を洗って汗を流す。その国へ行くとき、もっとも必要な言葉は挨拶などではなく「トイレはどこですか」だと、僕は確信をしている。

すっかりさっぱりして博物館に戻り、地中のかなり深いところから発掘をされた、ふたつの窯跡を見ていく。2019年の3月にも来たところではあるけれど、裏を返せば、また違った発見もあるものだ

と、そのとき少し離れたところから掃除のオバチャンが僕に声をかけつつ右の人差し指1本を立てた。「ひとりか」と訊かれているものと理解をして、僕も返事をしつつ右の人差し指1本を立てる。オバチャンは僕に近づきメガネを見せる。それは先ほど、便所で顔を洗う際に脇に置いた僕のものだった。メガネはデンマークの”LINDBERG”に紫外線防止用のレンズを取り付けた、安くないものだ。いと有り難し。僕は固辞するオバチャンの手に50バーツ紙幣を握らせた。

帰り道は、10時08分に現地を出発し、途中、巨大な菩提樹の下で涼みたい気持ちは起きたものの、結局は休むことなくペダルを漕ぎつつけて10時42分にホテルに帰り着いた。これで僕の「街道をゆく」は完了した。今日の午後と明日は休養に充てよう

昼食は抜く。僕は旅に出ると、空腹はそれほど覚えない。体内で最もエネルギーを必要とする器官は脳だという。腹が減らないのは、脳が雑事に煩わされないことによるのではないか。

南の国では、シャワーの後、素っ裸でベッドに大の字になり外を眺める、という日本にいてはできない贅沢ができる。汗は、シャワーを浴びてから40分ほどしてようやく引いた。

15時をすこし過ぎるころ、雨粒の、コテイジの屋根に落ちる音がした。やがて数分もしないうちに、雨は恐ろしいほどの勢いになった。風も強く、間近に見える椰子の葉は薙ぎ倒されんばかりに揺れる。いつまでも続くと思われたその雨は、小一時間ほども暴れると、いきなり、上がった。

17時30分に部屋を出て、きのうの夜とおなじ食堂へ行く。きのうは見なかった女の子が、何も言わないうちにグラスとバケツの氷を持って来る。料理はチャーハンと空心菜炒めを注文した。そしてそれを肴にして、持参したラオカーオのソーダ割りを飲む。

部屋には19時に戻った。シャワーを浴び、パジャマを着る。クーラーには1時間後に電源の切れる設定をし、今日こそはすべての明かりを落として就寝する。


朝飯 “Sisatchanalai Heritage Resort”の朝の定食
晩飯 「プリィアオ」のカオパットクンパットパックブンファイデーン豚挽き肉とパクチーのスープラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

  

上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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