2024.6.3 (月) タイ日記(1日目)
周囲が騒がしい。スチュワードが僕の前にテーブルを引き出し、朝食のお膳を載せようとしている。時刻は4時30分。これまでは3時ごろ、羽田を発った深夜便が台湾と海南島のあいだを飛んでいるときに目を覚ましていた。今回は随分とまぁ、よく眠れたものだ。
05:10 洗面所で歯を磨く。
05:42 「スワンナプーム空港まで25分」のアナウンスが流れる。
06:00 地上の灯りが近づいてくる。
06:12 “Airbus A350-900″を機材とする”TG661″は定刻より38分はやい日本時間06:12、タイ時間04:12にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
04:33 昨秋に開業した、新しいターミナルビルとこれまでのターミナルビルを結ぶシャトルトレインが発車する。
04:46 入国審査場を通過。
05:05 回転台からスーツケースを引き上げる際に転び、ちかくの男の人に助けられる。筋力が落ちているのだろうか。
05:20 到着階の3階から出発階の4階へ上がってバンコクエアラインのチェックインを完了。
荷物がグレゴリーのデイパックひとつになったところで地下1階へ降りる。エアポートレイルリンクの乗り場ちかくに並ぶ両替屋のレートはどこもかしこも変わらないようだが、米ドルの小額紙幣に他店より良い数字を出していたスーパーリッチの列に並ぶ。今回は日本円ではなく、2010年に1ドルあたり91円で買った米ドルの、いまだ残っていた1,034ドルを両替する。結果は以下の通り。
USD100(RATE36.55)×6=21.930THB
USD50(RATE36.55)×2=3,655THB
USD20(RATE36.45)×3=2,187THB
USD10(RATE36.45)×25=9112.5THB
USD1(RATE36.20)×24=868.8THB
TOTAL 37,753THB
これに手持ちのタイバーツ6,057バーツを加えれば総額は43,810タイバーツ。田舎で細々と過ごせば、ひと月くらいは保つ金額である。空港内では薬屋の”BOOTS”でビタミンCの錠剤を84バーツで買った。
さてスコータイ行きのバンコクエアライン”PG211″の搭乗口はA8。延々と歩いて保安検査を受け、更に行くと、そこはA6が行き止まりだった。係に搭乗券を見せて、保安検査場の脇から通路に戻る。そして来た道を延々と戻ってひとつ下の階に降りる。いまいちど保安検査を受けてA6のベンチに着く。時刻は6時35分。
そのまま座っていると、僕の名が呼ばれる。「搭乗券に記されたボーディングタイムは6時30分だが、さて…」と思案しつつちかくの係に声をかける。その女の人は即、外に停車中のワゴン車に僕を案内した。車内には運転手のほかに数人の女の人が乗っていた。これすなわち遅れ組、なのだろうか。最後の乗客として6時45分に機のタラップを上がる。
搭乗券に示された席は窓際の6Aだったものの、通路側6Bの乗客が窓際に移っていたため、スチュワーデスはその前の5Aに僕を座らせてくれた。振り向いて数えたところ、全62席に乗客は27名しか乗っていない。”ATR72-660″を機材とする”PG211″は、定刻より1分はやい6時59分に離陸をした。
やがてサンドイッチとクッキー、それにコーヒーが運ばれる。タイの国内線で供される軽食が好きだ。それらはおしなべて程が良い。「美味いものが食べたければ、地上に降りてから食べれば良いではないか」と僕などは考えるけれど、どうだろう。
離陸して数十分が経つと「水に魚あり、田に米あり、王は民に税を課すことなく…」とかつて謳われたスコータイが眼下に見えてくる。機は定刻より21分も早い7時39分にスコータイ空港に着陸。沖に駐められた機から、乗客はまるで遊園地の遊覧車のようなもので空港の建物まで運ばれる。荷物は別途、ピックアップのトラックにて同時に届いた。
さて僕が今回の旅でもっとも懸念したのは、スコータイの空港とホテルとのあいだの交通についてだった。ホテルは人里はなれた遺跡のちかくにあり、空港のシャトルバスのコースには入っていないことが予想されたからだ。しかし案ずるより産むが易し。シャトルバスのオネーサンに声をかけると、オネーサンは上役に、その上役はおなじ会社のタクシー係に声をかけ、話はすぐにまとまった。料金は片道1,000バーツ。いささか高いとは感じたものの、空港からホテルまでは22キロメートルもあり、四の五の言ってはいられない。
太った女性の運転手は、18キログラムのスーツケースを難なくトランクルームに納めてくれた。また運転席に乗り込むや後席の僕に振り向き、よく冷えたペプシコーラの缶を手渡してくれた。タクシーが空港の駐車場から走り出した時刻は8時22分。雨が上がったばかりなのか、道路はほどよく湿り、車載の室外気温計は27℃を示している。
僕が読んだ本によれば、インドシナのドミノ倒し的な共産化を懸念したアメリカが、タイには1960年代に徹底的な宣撫工作をした、そのひとつの結果が全国に張り巡らされた広い道路だという。嘘か誠かは知らないけれど、その道路を飛ばしてタクシーは8時50分にホテルの門をくぐった。驚くべき早さである。
林の中にコテージの点在する道を「アゴダー」と確かめつつ黄色いポロシャツのオネーサンが近づいてくる。「アゴダー」と僕はオウム返しに答えてホテルの予約票を出す。母屋の脇の守衛小屋のようなところでオネーサンはその紙を確認する。このホテルがコテージの形式であることは”agoda”のサイトで確認をしていた。中央棟にはタイシルクなどを売る設備もあったようだが、実際には機能していないらしい。
庭内には細く舗装した道が整備されているものの、それ以外のところは砂利または草のため、スーツケースの車輪が傷みはしないかと心配になる。案内されたNO.2のコテージは幅50メートルほどのヨム川に面して、居心地はなかなか良さそうだ。
シャワーは南の国ではおなじみの、電気湯沸かし式だが、温度も水量も申し分ない。荷物を整理し、きのうの日記を完成させる。
11時30分、小径を伝って河床のような食堂へ行く。オネーサンやオバチャンなど3人が端の席で何やらしている。このホテルの社員は、基本的にはいつも、ここにいるらしい。スイカのジュースを注文し、オネーサンにはコンピュータをwifiに繋げてもらう。そして1時間とすこしを、今日の日記を書きつつ過ごす。ジュースは街の茶店で飲むより高い100バーツ。別途、チップの20バーツを置いた。
このホテルの客は、どうやら僕ひとりらしい。ひとつひとつのコテージに車止めが付いているところからして、モーテルのように使われることが多いのかも知れない。南の国ではよくあることだが、何をしているのか分からない男たちも数人ほどはいる。管理についてはそれほどうるさくないらしく、はじめに受付をした場所の脇にある自転車は、自由に乗ってかまわないらしい。
午後、6、7台ほども並ぶ自転車の中から1台を引き出して街道に出てみる。ペダルが馬鹿に重い。すれ違った地元の人が後輪を指さしている。パンクではないものの、タイヤの潰れ具合は限りなくパンクに近い。即、ホテルに戻って他の自転車に乗り換える。あたりは世界遺産の遺跡ではあるけれど、人の姿はまったく見えない。
夕刻、昨年の4月にタイから持ち帰って冷蔵しておいたラオカーオのペットボトルと本、財布、iPhoneをセブンイレブンのエコバッグに入れて外へ出る。そして15世紀に建てられた仏教寺院のひとつ”Wat Khok Singkharam”の前の食堂に入る。オジサンの差し出したメニュを入念に眺めつつ、鶏肉のガパオ炒めにごはんと目玉焼きを付けてもらう。ソーダとバケツの氷も追加する。鮨を肴に日本酒を飲む。マカロニグラタンを肴に白ワインを飲む。それと変わらずタイのメシを肴にラオカーオを飲むことも、また静かに楽しい。
食堂の客は僕ひとり。街道にはたまに、荷物のための台を脇に作り付けたオートバイが通るのみ。気温は日本の夏の夕方とおなじくらい。テーブルに開いているのはドナルド・キーンの若いころの書簡集「昨日の戦地から」。何もかもが、僕にとっては素晴らしい。
朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 “PG211″の機内食
晩飯 「プリィアオ」のパッガパオガイカイダーオ、豚挽き肉とパクチーのスープ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)