2024.4.27 (土) 読まれるか読まれないか
それが誰だったかは思い出せない、とにかくある哲学者と「日光みそのたまり漬」を綾のように関係させつつ進む文章を書こうとして、それが書けずに焦燥している、という夢を見ながら目を覚ます。
僕は自社の紹介、商品の解説、各種の説明を書くことを好む。そしてそれをお客様にお渡し、お届けすることを好む。しかし他社のそれは読まない。お菓子の箱、蒲鉾の箱、茶葉の詰め合わせ、線香の箱、そういうものにはA7ほどの大きさの紙1枚や見開きの説明の入っていることが多い。僕は大抵、箱の蓋を開けるなり中味を取り出し、その他はすぐに捨てる。興味は本体そのものにあって解説には無い、ということだ。
あるとき催事のお知らせを、工夫を凝らしつつ書いていた。そこにオヤジが近づき「誰も読まねぇ」とひとこと言って去った。前述の僕の行動を振り返れば「誰も読まねぇ」は正解の可能性が高い。それでも僕は種々の説明や挨拶を書く。たまには読んでくださる方もいらっしゃるだろう。
その証拠に僕も、たまには店の紹介や商品の説明を読む。昨年は木更津から届いた佃煮の、箱に収められていたB8ほどの紙の文章を読んだ。木更津にはオフクロの実家があり、子供のころの夏休みといえば、そこに長く逗留することを楽しみにしていた。その懐かしさが、それを読ませたのかも知れない。
何年か前には、ある画家から買った絵に添えられていた、その絵の制作過程を記した文章を読んだ。その絵は僕がウェブ上に発見し、画家の個展を訪ね、今は作風の変わっている画家に当該の絵がいまだ画家の手元にあることを確かめ、交渉の上、手に入れた。そういういきさつがあったから、その絵についてのことは熱心に読んだ。
ここ1週間ほどは、ご案内、ご挨拶、御礼のお送り先をお客様名簿から抽出し、宛先を印刷することを3回した。その3種の郵便物のうち、もっとも読まれないだろうものも、もっとも読んでいただけるだろうものも、僕には分かっている。いずれにしても「前へ進もう」である。
朝飯 菠薐草のソテー、茹で玉子、なめこのたまり炊、香港橄欖菜、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、天ぷらの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、バンブー、ブロッコリーのソテー、葡萄パンのトースト、チーズ、Chablis Billaud Simon 2018、いちご