2024.1.24 (水) 伊豆治療紀行(22回目の2日目)
夜は怖いほど風が強かったものの、朝はおだやかに晴れた。もっとも日本海側には大雪の警報が出ている他、太平洋側でも名古屋では雪のちらついている様子を朝のテレビは伝えていた。
整体は今日も激痛に次ぐ激痛。9,000ボルトを発する電子ペンによる治療は、患部の具合が良ければ痛みはまったく感じず、ごく短い時間で終わる。具合が悪いときには、その逆。本日もっとも激烈な痛みは左膝の内側に横から打ち込まれた一撃。否、激痛は数分間も続いたから一撃とはいえない、とにかく参った。
ところで今回は、おととい長男が店の本棚に差し込んだばかりの開高健著「魚の水は美味しい」を携えた。「魚の水」とはベトナムの魚醤のことで、僕も2011年3月にはフーコック島にそれを醸す蔵”HUNG THANH”を訪ねた。通訳を兼ねてくれたセオムの運転手には通じたのだから僕は「ニョクマム」とか「ヌオックマム」とか口にしたのだろう。ただしその正確な発音は知らない。
ベトナムにはその後、2018年6月に栃木県味噌工業協同組合の旅行でハノイへ行った。彼の地でもっとも観たかったのはホーチミンの家だったが、旅程には含まれていなかった。
個人で旅に出る時間があれば、それらはすべてタイ行きに使いたい。ただし2011年3月に訪ねたサイゴンに裏を返すことがあれば、宿はサイゴン川に面したマジェスティック。屋上の食堂で朝食を摂り、午前中は中庭のプールで本を読む。昼食は食堂兼総菜屋のニューランで汁麺を食べ、午後はまたプールに戻って本読み。日が西に傾いてきたら現地の人は「ウォツカ」と呼ぶ焼酎を提げてベンタイン市場西裏の貝焼き屋台へ行き、茹でた有精卵や目移りがするほど種類の多い貝を肴にする。日によってはマジェスティックの屋上で夜のブッフェをつまみにワインを飲む。そういう風に過ごせるなら10日ほどは割いても良いと思う。
正面に大島を望む明るい洋室での昼食は3時間に及んだ。
伊豆高原15:31発の上りで熱海に来てみれば、名古屋と新大阪のあいだの雪により新幹線は30分の遅れと、ホワイトボードに手書きの文字が伝えていた。それを計算に入れつつプラットホームに上がる。16:02発のこだま728号は、実際には40分以上遅れて入線をしてきた。
家内とは神田で別れてそれぞれの用を足し、日本橋で合流する。贅沢な昼食を遅くまで愉しんでいたため、夕食への欲求は湧かない。そして浅草19:59発の下り特急リバティに乗り、22時前に帰宅する。
朝飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
昼飯 「四季旬菜日本料理虹-kou」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、其の九、其の十、其の十一、其の十二、其の十三、其の十四、新潟のそれほど高くない日本酒(燗)