2023.4.21 (金) タイ日記(4日目)
隣の部屋が宴会をしている。マレーシア人だろうか、あるいは中国人だろうか。時刻を確かめる気力はない。壁越しの声は、しかしふと気づくと止んでいた。各々、自分の部屋へ戻ったのだろう。
眠れたのか、眠れなかったのか、上半身を起こして枕頭のデジタル時計を確かめる。時刻は3時6分だった。きのうやおとといのように、即、寝台を降りる気にはならない。5時をまわってようやく起床する。
あしたバンコクへ飛ぶ便は、航空券を手配した昨年末から二転三転して、9時5分発のタイスマイル航空が確定した。国内線とはいえフライトの1時間前には空港に着いている必要がある。ということは、ホテルを出発すべきは7時、あるいは7時30分。ということで、今朝は6時に外へ出てみる。
シーローの勤勉な運転手は、朝の薄暗い光の中で車体を磨いていた。しかしシーローが空港まで行ってくれるものだろうか。バスステーションには空港行きのソンテウが駐まっているとのことだが、ザックを背負い、スーツケースを曳いてバスステーションまで歩く気はしない。ホテルからバスステーションまではシーロー、バスステーションから空港まではソンテウ、そんな二度手間も面倒だ。ここはやはり、高くついてもホテルでタクシーを手配してもらった方が安全ではないのか。そう考えつつ部屋へ戻る。
朝食はカオマンガイ。お運びのオニーチャンに100バーツ札を差し出す。オニーチャンは調理台のオバサンにそれを手渡す。オバサンがオニーチャンに釣銭を返すと、オニーチャンは「えっ」という顔をする。オバサンは「いいんだよ」と目でオニーチャンに伝える。多分、正規の料金は60バーツなのだ。しかし注文時に僕は血豆腐を特盛りにするよう頼んだ。15バーツは多分、その増量分なのだろう。
今日はきのうより早くプールへ行ける。しかし首、胸、腹、太腿の日焼けは今日も真っ赤なままだ。日陰にいつづけてこの有様なら、一体全体、どうすれば良いというのか。
プールの受付には、きのう二言三言を交わしたオネーサンがいた。そのオネーサンに大型のタオル2枚をもらう。デッキチェアの1台を庇の下の日陰に引き込む。1枚のタオルはそこに敷き、1枚は掛け布団のようにしてからだを覆う。日陰にいながら手ひどく日焼けをするとは、肌がよほど衰えたということだろうか。プールサイドには9時59分から13時33分までいて「輝ける嘘」は182ページまで進んだ。
部屋に戻り、シャワーを浴び、Tシャツとタイパンツを身につけ外へ出る。通りを東へ歩きつつ、数日前に調べておいた、昼を過ぎても鍋の火を落とさない豚足屋でカオカームーを注文する。この街の軽食堂は、首都にくらべてひと皿、ひと椀の量がすこし多いような気がする。価格は60バーツだった。
部屋に戻ったら、またシャワー。タイにいると、1日に何度シャワーを浴びたか、紙に記録でもしない限り、分からなくなる。しばらくは寝台で本を読む。それから明日の出発に備えて、すこしばかり荷作りをする。明日の朝は日記を書く時間などはないだろう。よって今日のうちに、少しずつ書き足していく。
16:40 きのうに続いて雷が聞こえ始める。
16:49 空は青いまま、原色の街に驟雨が落ちてくる。
16:59 テレビがいきなり点き、wifiは切れる。
17:05 wifiが復旧する。日記は書いたところまで保存されていて助かった。
17:22 部屋の灯りに、点くものと点かないもののあることに気づく。一部の回線は切れたままなのだろうか。ドアを開くと廊下も薄暗い。
17:29 部屋の全電源が復旧する。廊下も明るさを取り戻している。
17:37 雨が上がる。
ロビーへ降り、初日にチェックインをしたときのオネーサンにタクシーの手配を頼む。スーツのオネーサンは自分より上級職なのだろうか、民族衣装に似せた制服を着た女の子を連れてきた。フライトは9時5分と伝えると、フロントの二人は話し合って、出発は7時が望ましい、ということになった。クルマはホテルのリムジン、料金は800バーツと伝えられて「ゲッ、高けぇ」と驚く。
800バーツは、タクシーなら首都の空港と市中心部を往復できる金額だ。おなじく首都の空港から南下をすれば、シラチャまで行ける金額だ。「もうすこし安いのないの」と訊くと女の子は当惑しながら微笑んだ。「金で買える安心、安全は買っておけ」と言う人は少なくない。腹を決めて1,000バーツ札を財布から取り出す。
さて、これからハジャイへ行こうとして、検索エンジンからこの日記に辿り着く人もあるだろう。センタラホテル周辺の繁華街には、小さな旅行代理店がいくつもある。そこで予約をすれば、タクシーはもうすこし安く手配できるかも知れない。朝、クルマを磨いているシーローやソンテウの運転手に声をかければ、まさか空港まで800バーツとは言わないだろう。ただし乗る場所は荷台のベンチである。
夕食は初日の晩とおなじ店へ行く。今日は時間が遅かったためか、また金曜日の夜ということもあるのか、店は大繁盛だった。一人にもかかわらず10人でも座れる丸テーブルに案内されたため「単独の客が来たら、ここで相席にしても構わないから」と、お運びの女の子に伝える。ソーダと氷と料理ふた品の代金は240バーツ。釣りの60バーツは男の店員に渡した。
きのうかおとといも書いたことだが、この街は本当に、夜は涼しくなる。インドシナの最暑期は4月、ということを忘れさせる心地よさだ。
部屋へ戻り、明朝5時30分の目覚ましをiPhoneに設定して、20時すぎに就寝する。
朝飯 「楽龍福」のカオマンガイ(血豆腐はたくさん入れてね特注)
昼飯 Tanon Saneha NusornとTanon Chi Uthitの交差点南西角の店のカオカームー
晩飯 「勿洞大人饭店 」のベトン風蒸し鶏、ヤムタレー、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)