2023.4.18 (火) タイ日記(1日目)
00:20 “AIRBUS A330-300″を機材とする”TG661″が、ようやく牽引車により動き始める。
00:32 定刻に12分おくれて離陸。
馬が食べるほどの量をオフクロが遺したデパスとハルシオンは、使用期限を過ぎて効き目が薄くなったのだろうか、席の背もたれを最大まで倒し、アイマスクをしても、まったく眠れない。その状態に飽きてアイマスクを外すとテーブルが降ろされていて、サランラップでくるまれた丸いパンが載せられている。タイ航空の深夜便で夜食の出されることは知っていたが、眠っていれば、あるいは眠っているように見えれば、これの置かれることは、これまでなかった。ヒマに任せて食べてみれば、どうやら中味はポテトサラダらしい。時刻は1時20分だった。
03:55 人が立ったり座ったり動いたりする気配で目を覚ます。「周囲が眠っているなら、自分も静かにしているべし」という常識が、どうやら日本人にはあるらしく、そしてタイ人にはそれが薄いのではないか、というようなことを考える。
04:45 朝食の配膳が始まる。僕としては珍しいことながら、ジャムを除いてすべて食べる。
今回の機材は古く、座席のひじ掛けにリモートコントロールは供えていない。いつもはときどき確認する現在位置だが、今回のディスプレイには”Moving Map is currrently unavalable”の文字が見えるばかりだ。
06:25 バンコクの灯りが見えはじめる。
06:35 定刻より15分はやい日本時間06:35、タイ時間04:35にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:05 ようやく機外に出る。これまではしつこいほど目の前に現れた”Transfer to Chiangmai,Chiangrai,Phuket,Krabi,Samui,Hatyai”の表示が今回はどこにも見えない。よって”Transfer”の案内を頼りに歩いて行く。
05:15 見慣れた小さなカウンターに行き着く。ここでハジャイ行きの便にチェックインをする。
05:22 タイの入国審査では指紋の登録を求められる。右手人差し指のバンドエイドを見せると、オバチャンの係官は残りの指だけでよろしいと言う。しかし僕の乾燥肌を、機械はなかなか読み取らない。オバチャンが差し出してくれたボトルのアルコールで指を湿らせて、ようやく完了の表示が機械に出る。
05:45 保安検査場の手前で、先ほど機内で支給された、いまだ開栓していない水のペットボトルを捨てる。ハジャイ行きだから、というわけでもないだろうけれど、女性の係のほとんどはヒジャブを着けている。これまたときどきテロ行為の起きるハジャイへ向かう飛行機の搭乗券を手にしているから、というわけでもないだろうけれど、羽田では見逃された”trippen”のハーフブーツを、ここでは脱ぐよう言われる。
05:47 A9ゲートに達する。夜が明け始める。天候は曇り。霞か霧か、遠くの景色は薄ぼんやりとしている。
06:25 搭乗開始。バスに乗せられたため沖駐めと思われたが、バスから降りてみれば、飛行機はブリッジで空港の建物と繋がれていた。理由は不明。4月はインドシナの最暑期と言われているが、気温は20℃台と思われる。
07:02 “AIRBUS A320-200″を機材とする”TG2259(WE259)”の43Hの席に着く。羽田から乗った “AIRBUS A330-300″より足元が広く、圧倒的に楽だ。
07:21 定刻に21分おくれて離陸。間もなく機窓から日が差しはじめる。今回の軽食はミートパイ。タイスマイル航空の機内食は美味い。コーヒーも美味く、お替わりをする。
08:25 地上が見えはじめる。
08:29 定刻に4分おくれてハジャイ空港に着陸。
08:40 大勢の乗客と手荷物受取所の回転台の前に立っていると「あなたはあちら」と、係員からドアの先を指される。国際線から乗り換えた乗客の荷物は別の回転台から出てくるらしい。
僕の他にはもうひとりの乗客しかいない場所で、自分のスーツケースを回転台から拾い上げる。それを足元に引き寄せベンチに座る。そして財布から日本円やPASMOを取り出し、封筒に仕舞う。別の封筒から1,000バーツ札1枚、500バーツ札1枚、100バーツ札5枚、50バーツ札2枚、20バーツ札5枚を引き抜き、先ほどの財布に入れる。
立ち上がって、エックス線による荷物検査をここでも受ける。出てきたスーツケースとザックを拾い上げながら、係のオネーサンに声をかけられる。
「ボトルが2本、入っていますね」
「はい」
「持ち込めるボトルは1本のみです。今回は見逃しますが、次からは決まりを守ってください」
「あ、はい」
そう答えたものの、スーツケースには今回、片山酒造の「久太郎」が1本、「粕華」が1本、他に2020年3月にバンコクから持ち帰ったラオカーオのペットボトル2本の、計4本が納められている。オネーサンの言う「ボトル」とは、酒類のことだろうか。タイにはこれまで何度も来ているけれど、今回のような注意を受けたのは初めてだ。
外へ出ると、ミニバスの受付小屋はすぐに見つけられた。そこでセンタラホテルまでと告げると、オネーチャンは「ミニバスは個別のホテルには行きません。タクシーを呼びます。タクシーは18番。料金は250バーツです」と言う。それに従って1,000バーツ札を出す。高額の紙幣を苦にしそうにない場所ではかならず1,000バーツ札を使い、小額の紙幣を得ることにしている。
数分を待つうち来た18番のタクシーが目の前に停まる。ヒジャブの上にピンク色のキャップをかぶった華奢な女の子が、僕のスーツケースをタクシーのトランクに入れてくれる。空港から出ると、タクシーは間もなく、タイの地方ではお馴染みの、片側三車線の道路に入った。
タクシーの速度計が100キロを超えたところでシートベルトを締める。タイの隅々まで張り巡らされた広い道路は、1960年代、インドシナのドミノ現象を防ぐためのアメリカの宣撫政策によると、どこかで読んだことがある。それが本当かどうかは知らない。
「どちらから」
「日本から」
「何泊しますか」
「土曜日にバンコクへ戻ります」
「観光の予定は」
「無いなー。プールサイドで本を読む。あとは美味いメシ。それだけですねー」
「OK、OK」
空港から街までは、結構な距離があった。繁華街の真ん中にあるセンタラホテルにクルマを寄せると運転手はすかさず降り、トランクからスーツケースを取り出してくれた。日本のタクシーの運転手は多く、客がスーツケースを持っていても、運転席に着いたままだ。なぜそれをトランクへ納めることを手伝わないか。それは日本にチップの習慣がないためだと思う。
運転手には50バーツのチップ。時刻は9時30分。そしてエレベータで6階のロビーへ上がり、チェックインを済ませる。部屋は11階の7号室。ベルボーイにも50バーツのチップ。ここで時刻は9時40分。部屋は古びているものの明るく、掃除は行き届いている。
日本のホテルでは大抵、1泊しかしないから、部屋をいじることはしない。しかし海外では何泊もするから、部屋を自分の好みに変える。
先ずは4つある枕のうち3つを窓際のテーブルに重ねる。デスクの脇には大きめの箱があって、無料のミネラルウォーターやグラスやカップが納められている。そのうちのミネラルウォーターは冷蔵庫に入れる。箱にできた隙間には、部屋に備えつけのタコ足コンセントを置き、そこにコンピュータとiPhoneの電源コードを差し込む。このホテルのコンセントは三穴にて、差し込むのにいささか苦労をする。2客のグラスのうち1客は、申し訳ないけれど、ボールペンやインク消し、コンピュータのディスプレイの埃を払うためのブラシを入れさせてもらう。持参したコンソメスープの顆粒やピルケースも、その箱に置く。そうするうち昼がちかくなってくる。
外へ出て、取りあえずは目の前の通りを東へ往く。ハジャイは2016年2月にナラティワートへ行く際に、列車でプラットフォームに停車をしたのみで、街のことはなにひとつ知らない。いくつかのメシ屋を通り過ぎながら、通りの角に混み合った汁麺屋を見つける。すかさず調理場のオヤジにバミーナムと告げ、ひとつだけ空いていた席に着く。そのまま座っていると、オネーチャンがタイ語で何ごとか訊く。先ほどのオヤジはいない。注文を繰り返して2杯が届いては困るから「既に」とだけ答えると、オネーチャンは理解をしたらしかった。
いつの間にか現れたオニーチャンが運んできた汁麺の、肉団子、薄切り肉、すじ肉のすべては牛肉だった。味の水準は高い。量も多い。ナラティワートでは、イスラム寺院の前の屋台が焼くパン以外は、すべて不味かった。この街が、その逆なら嬉しい。
ホテルへ戻り、シャワーを浴びて窓際に立つ。外には雨らしいものが見える。地上を見おろすと、人は傘を差して歩いている。その雨の弱まるのを待って7階のプールへ降りてみる。僕の旅の楽しみの随一は、プールサイドでの本読みである。しかし寝椅子のすべては濡れている。番人のオバサンに「雨が降る…」と声をかけると、オバサンは「雨が降る」と繰り返して笑った。
その雨の上がったところで外へ出る。昼の街は、まるで死んだように静かだ。タイのマッサージ師は通常、外に座って道行く人に声をかける。しかしこの街の彼らはおしなべて、冷房の効いた店内のソファに寝そべっている。そうするうち、自分の居る場所が分からなくなる。スマートフォンを取り出し位置を確かめると、何と、いつの間にかトエイ川の東岸まで来てしまっていた。
気温は高く、汗まみれで、歩いて帰る気はしない。そこに上手い具合にモタサイが来る。手を挙げると、反対方向へ向かおうとしたオートバイはそれを認めてUターンしてきた。問えば運賃は50バーツ。即、その後席にまたがってホテルに戻る。
夕刻までは寝台で本を読む。そして17時に起きて服を着る。今夜の食事の場所は日本を出る前から決めておいた。ホテルからは徒歩で7、8分くらいのところだっただろうか。いまだ外の明るい時刻であれば、客の姿はまばらだった。先ずはソーダと氷を頼み、セブンイレブンのエコバッグに入れてきたラオカーオを、それで割る。これまた持参した本を開く。ラオカーオのソーダ割りを口に含むと、高揚と鎮静が一気に、同時にからだ中に広がった。肴はこの店の名物らしいベトン風蒸し鶏、そしてあんかけ焼きそば。価格は締めて270バーツ。お釣りの30バーツはそのまま置いた。
ホテルへの帰り際に、通り沿いのマッサージ屋から声をかけられる。そのオバチャンが相手と考え、2時間のマッサージを頼む。オバチャンは僕を店の中に案内し、若い女の子を僕につけた。若い女の子では、技術は大したこともないのではないか。オバチャンの方が上手なのではないか。腑に落ちない気持ちと共に階段を上がり、マッサージ台に横になる。
マッサージの上手下手は、そのマッサージ師が自分のからだに触れた瞬間に分かることがある。そしてその女の子の技術は大したものだった。2時間が経って階段を降りるなり、先ほどのオバチャンに声をかけ、明日の16時におなじ人で予約を入れる。
マッサージ屋からホテルまでは目と鼻の先。部屋へ戻るなり、ここに来て何度目か覚えていないシャワーを浴びる。時刻は20時37分。パジャマに着替えて即、就寝する。
朝飯 “TG661″の機内食、“WE2259″のミートパイ、コーヒー
昼飯 “Ko Tum”のバミーナム
晩飯 「勿洞大人饭店 」のベトン風蒸し鶏、あんかけ焼きそば、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)