2023.4.4 (火) 伊豆治療紀行(15回目の1日目)
乗り換え案内の「出発」に下今市、「到着」に伊豆高原、出発時刻には11:30を設定しても、現れるのは下今市12:35発のみだ。「11時35分発があったはずだが」と、今度は東武線のウェブページから下今市11:35発の特急券を買ってしまうこととする。そして当該のページへ行くと、果たしてその列車は時刻表から消えていた。12時35分発では伊豆高原に着くのが16時48分となり、伊豆高原痛みの専門整体院に予約した17時には間に合わない。
3月までは運行していなかった、下今市10:53発の上り特急に乗る。伊豆高原までの経路は以下。こんな記録を残すのは、僕に「乗り鉄」の傾向があるからだろう。
10:53 下今市発(けごん20号)
12:22 北千住着
12:29 北千住発(常磐線)
12:49 東京着
13:27 東京発(こだま729号)
14:10 熱海着
14:29 熱海発(伊東線。伊東からは乗り換え不要で伊豆急行)
15:23 伊豆高原着
伊豆高原のひとつ手前の城ヶ崎海岸駅から治療院までは1,100メートルの急坂を登る必要がある。そしてこれは一度ためしたのみで止めた。以降は、往路においては伊豆高原からタクシーを使うことにしている。しかし17時の予約にはいささか早すぎる。よって山桃の大木を間近に望む待合室で1時間ほど本を読む。
肩と背中と膝の治療を18時すぎに終えて、城ヶ崎海岸駅までの急坂を下る。東伊豆の海はいかにも春らしく霞み、その先に浮かぶ大島には灯りが点り始めている。駅に辿り着いたのは18時26分。列車はほぼ1時間に1本。18時50分発の上りに乗って19時12分に伊東に着く。
ホテルまで歩く途中、前回3月7日に見つけた、非常に味のあるもつ焼き屋に入る。店の中は意外に広く、カウンターが5、6席に4人用のテーブルふたつがあった。カウンターの先客はふたり。ふたつのテーブルは埋まっている。焼き場のオバサンは静かで、調理担当のオニーサンは感じが良い。
何人かの集団が戸を引き、混み合う様子を見て入ることを諦める。しばらくして奥のテーブルの4人が去る。またしばらくするとふたたび戸が開き「シーシー」と言葉を発しながら新しい4人が入ってきた。
「シーで4人ならタイ人か」といぶかしんだが、彼らの話す言葉は聞き慣れないものだった。中国語、それも南方のそれだろうかと想像するうち、彼らのうちのひとりがカウンター上の冷蔵ショーケースの前に立ち、指さしで注文を始めた。しかし飲物については、どうするつもりだろう。
見るに見かねて、というほどのことでもないけれど、彼らと店の間には僕が入ることにした。何を飲むかと問うと「ショーチュー」と言う。その言葉は知っているらしい。水で割るのかお湯で割るのかと訊くと迷っている。だったら日本酒はどうかと問うと、それにするという。暖かいのか冷たいのかと続けると、彼らは冷やを選んだ。
「それにしても、よくもまぁ、こんな掘っ立て小屋のような店に、言葉もおぼつかないのに入ってくるよなぁ」と、呆れるよりむしろ感心をする。そうするうち4人組のひとりが僕のところに品書きを持ってきて「みりん干し」の文字を指す。「ホシタサカナ、アミデヤク、チョットアマイ」と教えると大きさを問う。両手の親指と人差し指で細長い楕円形を作って見せると彼女は頷いた。僕は「みりん干しだそうです」と、オニーサンに伝える。
勘定を頼むと「助かりました」と、オバサンは2合徳利1本分をおまけしてくれた。4人組はマレーシアからの旅客だった。僕は話し込む彼らのうちの一人の肩をつつき「ヨイタビヲ」と声をかけて店を出た。旅は「モノより思い出」である。彼らは国に帰っても、今夜のことを懐かしく思い出すだろう。そして数分を歩いて今夜の安宿に入る。
朝飯 茹でたブロッコリーを添えたハムエッグ、独活と人参のきんぴら、菠薐草のおひたし、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと大根の味噌汁
昼飯 「笹八」の爆弾おむすび
晩飯 「ひさご」のお通しのたぬき奴、もつ煮、もつ焼きあれこれ、焼きそば、日本酒(燗)