2022.12.12 (月) 復興と醸成
朝食の動画をTikTokに載せている。頻度は週に、食べるだけの短いものは3本、作る場面を含む長いものは1本と決めている。この在庫がきのう切れた。よって今朝は、長いものをひとつ撮ろうとして棚に本を探す。
「汁飯香や一汁一菜、一汁三菜については分かった。そろそろ目先を変えたものが観たい」という意見をひと月ほど前にいただいた。それに従って、2週間前からは、朝食を整えつつ本を紹介する、ということを始めた。棚から引き出したのは池波正太郎の「食卓の情景」である。
昭和47年1月から48年5月まで、池波は週刊朝日に食べものについてのことを連載する。「食卓の情景」は、これをまとめて昭和48年6月に初版第一刷が出された。昭和48年は1973年。僕は高等学校の2年生だった。以来、僕はこれを多分、3回、読んだ。記憶に残る諸々の中から、今日の動画では朝食に関する部分を選んだ。
池波には片岡(仮名)という、半年前に結婚したばかりの若い友人がいる。池波はこの片岡君を伴って、京都鷹ヶ峰の「雲月」で4時間におよぶ昼食を摂る。帰りぎわ「どうだ、うまかったかい?」と池波は水を向ける。「ええ。ですけど…ですけど、ぼく、納豆と味噌汁が食べたかった。でも、いいんです。明日の朝は、宿で食べられるから…」と片岡君は、はにかんだようにうつ向く。片岡君の奥さんは和食による朝食を「そんなものは下等だ」と、作ってくれないのだ。
当時の男の結婚年齢を28歳とする。昭和48年の28歳は昭和20年生まれ。日本はアメリカに負けて社会は大混乱。日本人の価値観も大混乱。日本のすべてはバツ。戦勝国アメリカのそれはすべてマル。そのような世に子を成した親、そのような世に育った子供の中には、片岡君の奥さんのような人もたくさん存在したはずだ。
さて2022年の現在はどうだろう。昭和48年つまり1973年から数十年をかけて、日本の文化は復興を繰り返し、また醸成を続けてきたのではないか。そんなことを考えながら味噌汁を吸い、めかぶの酢の物をすすり込み、青葱を薬味にした納豆をかき混ぜる。
朝飯 めかぶの酢の物、焼き鮭、納豆、里芋の柚味噌和え、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、舞茸の天ぷらと長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトとレタスと胡瓜のサラダ、2種のグラタンを添えた猪の赤ワイン煮、Grand Vin de Leoville 1985、2種のケーキ、Old Parr(生)