2022.9.28 (水) 書ける書けない、読める読めない
仕事に関する報告や連絡や相談に関するメールには即、返事が書ける。なかなか書けないのは世間話に類するメールへの返信である。
「読める」と「読めない」にも、僕には同様のことがある。何の役にも立たない本は読める。役に立てようとして読む本、つまりビジネス書や自己啓発本のたぐいは一切、読めない。
こうして「書ける」「書けない」と「読める」「読めない」を並べてみると、メールについては実用的なものは書けて、そうでないものにはなかなか返事が書けない。しかし読む方については逆の関係になっている。
更に考えを進めてみる。メールには相手がいる。一方、本を読むという行いはひとりきりでのものだ。いやいや、だからどうしたというのだ、これ以上の分析は、やはりお手上げだ。
ところで日記はいくらでも書ける。日記とは「よしなしごと」を書き連ねること。「よしなしごと」とは「何の役にも立たないこと」。とすれば、こちらは行為としては「書く」ではあるけれど、それに向かうときの気持ちとは本を読むときのそれに重なる。
上記を箇条書きにしてみよう。
メール:実務に関することは書ける。よしなしごとへの返信はなかなか書けない。
本読み:実務に関するものは読めない。座右には、どうでもよいものばかりがある。
日記:実務に関することはなかなか書けない。よしなしごとはいくらでも書ける。
僕がウェブログのコメント機能を殺しているのは、上に照らせば「さもありなん」の措置である。「どうでもよいことこそ個人としては大切。だから自分だけのものにしておきたい」ということかも知れない。
朝飯 かやくごはん、生玉子、ごぼうのたまり漬、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、舞茸の天ぷらと万能葱の味噌汁
昼飯 おむすび、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬
晩飯 めかぶの酢の物、夏太郎らっきょう、野菜ときのこと豚薄切り肉の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、「樫舎」の「小男鹿」、CAMUS NAPOLEON EXTRA(生)