2022.9.6 (火) 言語の習得
先月30日の日記に書いた、2日分の「いつでも使える日記」には賞味期限があった。夏のあいだに公開すべきが、次々と書かれる日記により下へと追いやられるうち、季節はいつの間にか秋になってしまった。よってその文章は来夏に使うこととして、ワードブレスから秀丸に移した。「いつでも使える日記」はいずれまた、新たに増えていくことだろう。
ところで言葉について。
1歳9ヶ月になる孫のシンの日本語が、このところ僕のタイ語を追い越しつつある。先日は「ペン、ちょうだい」と言った。ペンはタイでもペンで通じるものの「ちょうだい」を意味するタイ語については、僕はそれを知らない。
「タイに来て1年、それとも2年」と、タクシーの運転手に訊かれたことがある。そうではない。僕のタイ語はメシを食うことと移動をすること、そのふたつにおける最低限が身についているだけだ。「私にペンを貸してください」は、そのどちらにも当てはまらないから話せないのだ。
タイ人の教師によるタイ語の学校は東京にもある。しかし先月28日の日記に書いたように、僕は「練習しなくては上達しないことの、ほとんどすべてが嫌い」な人間である。「行っても気力が保たねぇだろう」とは思う。
朝飯 「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、小松菜のおひたし、納豆、オクラのおひたし、胡瓜と蕪のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 炒り豆腐、夏太郎らっきょう、トマトと刻みキャベツとマッシュドポテトを添えた串カツ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)