2022.7.13 (水) 1972年7月13日
起きて食堂に来て時計を見ると時刻は3時56分。鳥の啼きはじめようとする時間である。本日は、妹が14歳で病没してから50年目の日にあたる。以下は今日の、ではなく、きのうの日記になる。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と納品を済ませて、9時前に家内と如来寺のお墓へ行く。霧雨よりも弱い雨が降っている。家内は草を抜く。僕は濡れた墓石を乾いたタオルで拭く。花立てと線香立てを水場で洗い、花のみを供える。
10時40分に如来寺の、今度は玄関を上がって声をかける。係の人はすぐに出てきてくれた。そして11時より本堂にて、クワカドシューコー僧正に五十回忌の法要を執り行っていただく。クワカドさんは墓前でもお経を上げてくださり、また線香も供えてくださった。回忌は今回でひと区切りとなる。しかし僕が妹のことを思い出さない日は、これからも絶えることはないだろう。
15時を過ぎて、小倉町の年金事務所を訪ねる。日本年金機構から数日前に届いた調査用紙の、記入方法を教えてもらうためだ。その結果、この書類は僕においては提出の必要のないことが分かった。ついでに、そろそろ入り始めるだろう年金についても確認をする。
年金を65歳から受け取るべきか、それとも繰り下げ受給を選ぶべきかは、社会保険労務士の中でも意見は異なる。繰り下げ受給は、年金による支出を抑えるべく、国が苦しまぎれに編み出した仕組みと僕は理解をしている。
もうひとつ。「今の若い人は大変だね、自分の世代はたっぷりもらえるからね」と気持ちよさそうに言い放った人が、年金の受給開始からいくらも経たずに頓死した例を知っている。
「年金などもらわず、一生、働くべし」と僕に勧めた人もいるけれど、自分の労働の対価の中から営々と積み上げてきたお金を国にくれてやるつもりは無い。65歳より満額の年金を得るべく、昨秋よりいろいろなことをしてきた。
年金事務所の人は、僕の昨年の誕生日から現在までの未払い金額、そしてこれからの年金額について、丁寧に説明をしてくれた。いよいよ夢の隠居生活である。もっとも隠居とはいえ、雑用はこれからもしていくつもりである。
朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、納豆、紅白なます、水茄子のぬか漬け、長芋のたまり浅漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、もつ煮汁
昼飯 メシ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、もつ煮
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、もつ煮、枝豆、水餃子、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)