2022.7.9 (土) 予約と制約
東の空には、その低いところに長く雲が伸びている。南の空も同じく。西の空に雲はなく、北の空には高いところに綿のような雲がある。しかしそれらの雲の量は、天球の面積にくらべれば、ほんの2、3パーセントに過ぎない。だからあたりには朝の日の光がふんだんにあって、万物の輪郭を浮き立たせている。
芭蕉が「あらたうと青葉若葉の日の光」と詠んだとき、日光の天気は実は雨だったと、曽良の日記にはあるという。僕の、今朝の空についてのことに嘘は無い。
本日、最初のお客様は、ご自身がお勤めのお店でお使いになる日光味噌と上一醤油をお求めの若い女性だった。お買い上げ品を両手にお持ちでは、クルマのドアは開けづらい。よってふたつの紙袋は、僕がお車までお持ちする。
次のお客様は、若い、それも体格の良い男性ばかり5名様。らっきょうのたまり漬の試食をお勧めすると「いや、あの、食事」とおっしゃるので「あぁ、ご予約の…」とお応えをすると「えっ、予約、要るんですか」と、まさに、きのう日記に書いたばかりの応答となった。これまたきのうの日記に書いたように、今日の隠居は開店の8時30分からオーダーストップの13時まで満席である。5名様のうち幹事役らしい方には隠居の名刺をお渡しし、次の機会にはかならずご予約くださるよう、お願いをする。
もっとも、いくら予約をお勧めしても、予約は絶対にしない、という性分の方が、世の中には一定の割合で存在している。予約は、自分の行動に制約を与えることになるからだ。あるいは特に、日本のむかしの男に多かったような気がするけれど「メシ屋の予約などするな」という、ある種の美学の持ち主もいる。そして「オレの場合は、どうだろう」と考える。
僕は、ひとりで軽く昼食を摂る店には予約は入れない。しかし昼でも人を伴う場合には、店の種類によっては予約を入れる。夜はほとんど予約を入れる。あるいはその店が営業しているかどうか確認の電話を入れる。「難民」は、避けたいではないか。
そして夕食の後、行きつけの店に明日の夜の予約を入れる。
朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、生玉子、納豆、紅白なます、塩もみ胡瓜の「みょうがのたまり漬」和え、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、若布とレタスの味噌汁
昼飯 しょうがのたまり漬の牛しぐれ煮のおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」
晩飯 らっきょうのたまり漬と鶏と胡瓜とレタスとトマトのサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、GILBEY’S VODKA(ソーダ割り)、エクレア、Old Parr(生)