2022.3.16 (水) 無味の味
数ヶ月先の、ある日の日記を書きつつ「無味の味」と検索エンジンに入れてみた。すると昭和6年の日付のある、魯山人の文章が出てきた。それによれば「無味の味」の海における究極はふぐであり、山におけるそれはわらびであると、あった。
僕は魯山人の言う「徳島、下関、出雲あたり」の人ではないから、ふぐを常に食べる習慣は持たない。わらびは、これを好むうちマメな人は自ら山で採り、茹で、灰汁を抜く。僕はそれを予期せずいただいて賞味する。今年、その機会は訪れるだろうか。ちなみに魯山人は、わらびは酢醤油で食べるという。僕なら酢と「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を合わせて使うだろう。「朝露」は浅漬けの素ではあるけれど、味の淡いものに差しても、また佳、なのだ。
「人はパンのみにて生くるものにあらず」という言葉がある。ところが僕にはパンのみにて生きているようなところがある。「今夜あたり、鮪を朝露で漬けたやつが食いてぇな」と思う。
朝飯 鶏とコンニャクの炊き合わせ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、蓮根のきんぴら、納豆、切り昆布の炒り煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 揚げ湯波とひじきと人参の炒り煮、鮪の「朝露」漬け、うずら豆、雲呑、「栗林酒造店」の「春霞純米吟醸」(冷や)