2022.1.25 (火) 伊豆治療紀行(2回目の1日目)
右の肩胛骨と背骨のあいだの痛みは1998年の秋より始まった。それは同年の師走に至って耐えがたいほどになった。整形外科の痛み止めの注射は半日しか保たなかった。1999年の正月を待って、総合病院で脊椎の写真をMRIで撮った。整形外科では電送された画像を観察したものの、痛みの元は、はっきりしなかった、以降は処方された鎮痛剤に頼りつつ、ふたつの鍼灸院で鍼を打ち、噂に聞いた「手かざし」まで試して、すべて効かなかった。
幸運は、facebookの中にあった。「神の手により復活」という文字を偶然、目にしたのだ。藁にもすがろうとしていた僕は書き込みの主に質問を送った。主は懇切丁寧に、あれこれと教えてくれた。
その「宇都宮肩腰痛みの整体院」には、2020年7月14日までの1年半のあいだに47回、通った。「次は2ヶ月後で大丈夫です」と言われるまでに、僕のからだは回復をした。しかし「2ヶ月後」は無かった。こともあろうに先生は、伊豆に引っ越してしまったのだ。
とにかく我が人生で最強の「治し屋」である。「2ヶ月後」は無理だったが「9ヶ月後」の2021年4月にようよう伊豆を訪ね、そこで2回の治療を受けた。そして今日は、その日からまた9ヶ月を経ての伊豆参りである。
「寒いサーキットに1日いて、クルマを走らせたのが腰痛の原因と思うんですよ」
「そのときには、既に、そういう状態なっていた、ということです」
「膝も、そんなにダメですか」
「自分のからだと会話ができないんだね、こんなに悪くなるまで」
と、そんな話をしながら9,000ボルトを発する電子ペンで治療を受ける。特に膝などは、そのペンを押し当てられれば痛みに声も出ない。その荒療治の辛さは尋常ひととおりのものではないけれど、肉体はできるだけ長く、自由自在に使いたいではないか。
半年に1度、できれば春夏秋冬に1度ずつ通えばここまで悪くなることはないと言われて「伊豆高原痛みの専門整体院」を去る。以降はホテルで温泉につかり、寝台で本を読んで過ごす。
朝飯 たたき牛蒡、菜花のおひたし、紅白なます、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮を薬味にした納豆、蕪と胡瓜のぬか漬け、メシ、大根と人参と牛蒡と椎茸と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 「国産鶏肉のバジル炒めごはん」弁当
晩飯 「和むら」の酢の物、刺身盛り合わせ、日本酒(燗)