2022.1.16 (日) そんなことをいつまでも考えていては
3時台に起床すると「得した感」を覚えることができる。何を得したかといえば、それは時間、である。しかし今朝は3時台とはいえ、洗面を済ませて食堂に来ると、時刻は4時が近かった。こうなると「得した感」も、それほどのものではない。
昨晩、長男の焼いた鰯が1尾あまったので、今朝のおかずとしてもらってきた。丸干しの鰯に中国の西方を思わせる香辛料を利かせ、フライパンで焼き、牡蠣油で味をつけて、香菜を飾ったものだ。西方風の香辛料と牡蠣油では、何やら地方性を無視した料理のように思われるけれど、それを作り、食べているのが日本人であれば、それこそどうでも良い話だ。
ところで今朝は、一汁一菜の朝食に向かいながら「熱した鉄板の上で焼くことを、中国語ではどう書くのだろう」と考えた。日本語には、調理に関する動詞が少ない。網で焼いても鉄板で焼いてもおなじ「焼く」で、どうにも面白くない。そうして「この鰯の焼き方は、中国では『煎』かなぁ」と考えるものの、ソースにまみれたその姿に「煎」はそぐわない気もする。
しかし、そんなことをいつまでも考えていては仕事にならない。「まぁ、いいや」と席を立って、エレベータのある廊下へと向かう。
朝飯 鰯の牡蠣油焼き、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、塩らっきょう、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と人参と牛蒡と椎茸と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 たまり漬「ホロホロふりかけ」と塩鰹のふりかけのスパゲティ
晩飯 豆腐とキャベツの味噌汁、白菜と人参と昆布のたまり浅漬け、蛸とトマトとピーマンのサラダ、鶏手羽の唐揚げ、TIO PEPE