2021.11.26 (金) 聖地巡礼
広島の井辻食産イツジエースケ会長の誕生日は4月29日。2020年のその日、イツジさんには日光の片山酒造から高級酒”ALL BLACKS”が届いた。当時の社長カタヤマタカユキさんは、イツジさんを深く敬愛していた。そのカタヤマさんは翌日、どうということもない風邪が急変して亡くなってしまった。イツジさんの驚愕、いかばかりだっただろう。
イツジさんは通夜葬儀への参列、せめて墓参りを切望した。しかし当時は国内とはいえ往来は思うに任せなかった。その墓参が本日、ようやく実現する。僕は新三共胃腸薬3錠を服用してから下今市駅へと向かった。
イツジさん、そのイツジさんが主催する「東京禿げます会」の会員ナカシマミホさん、また片山酒造の顧客名簿を、お客様の利便性により即した形にすべく僕がカタヤマさんに紹介した”Computer Lib”の中島マヒマヒ社長の3名は、9時13分に下今市駅に着いた。
片山酒造のすぐちかくにある回向庵の墓前に焼香を済ませると、イツジさんは手提げ袋からウクレレを取り出した。そして我々に歌詞カードを配った。そこにはイツジさんが作詞した追悼歌があった。ちなみに3番の歌詞は「今日は悲しい禿げます会、片山さんが亡くなった、わしらももうすぐ行くからね、そちらでしばらく待っててね」。節はイツジ会長の十八番である、牧伸二の「あゝやんなっちゃった」である。
片山酒造では買い物をしながら、カタヤマタカユキさんのお母さんや弟のトモユキさん、そして番頭のイーノマサヒロさんにご挨拶。一行は上澤梅太郎商店にも立ち寄ってくださり、お買い上げを戴いた。問題は、その後である。
僕が「ラーメン二郎」のラーメンを初めて食べたのは、1980年あるいは1981年。そのころ「ラーメン二郎」は慶應大学三田キャンパスの南東角に、創業者による店のみが存在していた。盛りつけは、現在のような巨大なものではなかった。味は僕の理解の範疇を超えていた。以来40年、二郎のラーメンは口にしていない。
一方カタヤマさんは「ラーメン二郎栃木街道店」に、週に2度は通っていた。日光市今市から同店までの距離は片道50km。週に2度なら計200km。まるで千日回峰の修行僧である。イツジさん一行は今回、その「ラーメン二郎栃木街道店」での昼食を以て墓参は完結するとの認識である。
googleマップを頼りに同店に到着したのは11時08分。行列の人数は18名。イツジ会長はfacebookを遡って「ラーメンは豚入りのTARO、野菜多め、油とニンニク増し。サイドディッシュに生玉子とピリ辛らっきょう。ドリンクはサントリーの黒烏龍茶」というカタヤマさんのいつもの注文を探し出し、それを呪文のように頭に刻み込んだ。
入店までに要した時間は70分。更に店内の丸椅子で10分間の待機。カウンターの先客たちは、さながら求道者の趣である。僕は店主に「麺半分」と「野菜少なめ」を申し出た。
イツジ会長から墓参についての希望をうかがったときには「えっ、ジロー?!」と大いに疑問に感じた。しかし結論からすれば、来て良かった。本日、4人で「ラーメン二郎栃木街道店」に来たことは、いわば聖地巡礼だったのだ。
13時10分、一行を東武鉄道の栃木駅までお送りする。イツジ会長とマヒマヒ社長は東京を目指し、ナカジマミホさんは、日光から降りてきた来た道を戻るようにして鬼怒川温泉を目指す。
ホンダフィットが会社に帰り着いたのは14時34分。着替えて15時より仕事に復帰する。
朝飯 菠薐草のおひたし、温泉玉子、紅白なます、じゃこ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、焼き葱の「朝露」漬け、メシ、味噌けんちん汁
昼飯 「ラーメン二郎栃木街道店」のラーメン(麺半分、野菜少なめ)
晩飯 ミックスナッツの「日光味噌」和え、トマトと刻みキャベツとポテトサラダを添えた豚肉の味噌炒め、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)