2021.8.8 (日) 達磨
それほど早い時間でもないだろうに、部屋はいまだ薄暗い。台風はいま、どのあたりにいるのか。寝台から降りつつiPhoneに触れる。時刻は4時20分だった。
食堂に来て丸テーブルの、自分の席に着く。あれやこれやのよしなしごとが、頭の中を流れていく。
「タイに来て1年? 2年?」と、バンコクでタクシーの運転手に訊かれたことがある。運転手がそう感じたのは、我々ふたりがタクシーの車内という限られた空間の中にいたからに過ぎない。僕のタイ語は2歳児にも劣る。副詞に至っては「一緒に、右へ、左へ、真っ直ぐに」くらいしか知らない。
孫のリコは4歳児だ。その発する日本語に、ときおり舌を巻く。わざわざ選んでいるのではないかと思われるような、小難しい言葉を使う。「そもそも」などと言われると、それはどの品詞に当たるかさえ、僕には分からない。人間は、おぎゃぁと生まれたときが、一生で一番、頭が良いと僕は考えている。たったの2、3年で未知の言葉を身体に取り込んでしまうなどは、大人にはとてもではないけれど、できない芸当である。
午前、小箱シリーズの「七種きざみあわせ」が売り切れたと、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」から電話が入る。即、20箱を作るよう、製造顧問のフクダナオブミさんに頼む。出来たてのそれは、自転車で現場まで運んだ。そして売場の棚に収めながら、今しがた売り切れたらしい別の品に気づく。会社にとんぼ返りをして、またまた自転車で道の駅へと向かう。
午後もなかばを過ぎるころ、隠居の庭を見てまわる。池泉に石の達磨が埋もれている。池泉は長いあいだ放置をされて、落ち葉や泥が溜まっていた。それらは「汁飯香の店 隠居うわさわ」を開こうとしていた昨春、植木屋にすっかりさらってもらった。そのときにも、この達磨は誰にも気づかれなかったらしい。
靴を濡らさないよう、慎重に流れの縁に立つ。そして直径は1尺に満たないものの、中々に重いそれを引き上げる。水で洗ったら、門を入ってすぐのあたりに置こうと思う。
朝飯 鰻の佃煮、冷や奴、生のトマト、ポテトサラダ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 鶏とマカロニのグラタン、オニオンスープ
晩飯 ゴーヤと春雨と豚挽き肉の炒め物、トマトと玉子と小松菜のスープ、たたき胡瓜、麻婆豆腐、キンミヤ焼酎(ソーダ割り)、「本澤屋」の団子、Old Parr(生)