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清閑 PERSONAL DIARY

2017.3.9 (木) タイ日記(1日目)

“BOEING747-400″を機材とする”TG661″は、定刻に22分遅れて00:42に羽田空港を離陸をした。きのうの目覚めから現在まで23時間も起き続けている。よってオフクロの遺したデパスとハルシオンは、持参はしたものの、服用はしなかった。それが裏目に出て全然、眠れない。

”sorry”の声と共に二の腕を軽くつつかれて、アイマスクを外す。窓際に座ったタイ人のオネーサンが手洗いに立ちたいらしい。僕は脚を通路側にずらし、オネーサンを通してあげる。時刻は2時15分だった。

ジェットエンジンの音が轟々と響いている。音が聞こえているということは、眠れていないということだ。腕時計は5時を示している。このまま起きてしまうこととして、そろそろダナンの上空にさしかかるころだろうと、目の前のディスプレイのスイッチを入れる。しかし機は、いまだ海南島の東洋上を飛んでいるところだった。

05:20 機内の明かりが点く。
05:30 朝食の配膳が始まる。
06:00 ダナン上空を通過。
06:43 「バンコクは曇り、気温は27℃」と、機長のアナウンスがある。
07:05 タイ時間05:05、定刻より20分はやくスワンナプーム空港に着陸。

以降の時間はタイ時間による。

06:05 エアポートレイルリンクARLの始発で市内を目指す。いまだ夜は明けていない。
06:43 マッカサンから歩道橋でペチャブリーに移動。地下鉄MRTに乗り換える
06:53 シーロムに停車中に同級生コモトリケー君から位置確認の電話あり。
06:56 ファランポーン着。

バンコクの中央駅たるファランポーンは、日本でいえば東京駅ではなく、断然、上野駅の雰囲気だ。その構内のベンチにコモトリ君の姿を認め、近づいていく。そうしてスーツケースを開いて土産を手渡し、首都に戻ってから飲むための”TIO PEPE”を預ける。

タイ国鉄北線7号列車ディーゼル特急の、デンチャイまでの切符は、コモトリ君が駅員に発券を頼んでくれた。時刻はいまだ7時20分、よって外へ出て駅前のメシ屋でコーヒーを飲む。頼んだのはアイスコーヒーだが、届いたのはホットコーヒーだった。「気にしなくていいよ」と、コモトリ君が店のオバチャンんに声をかける。オバチャンは元より、そんなことは気にしていない。

08:05 入線してきた列車に乗り込む
08:31 定刻に1分遅れて発車
08:44 駅でないところで謎の停車
08:57 サムセン着(既にして17分遅れ)
09:03 バンスージャンクション着
09:50 サービス係のオネーサンがチョコレートパンと飲物を配り始める。

チェンマイ行き7号列車の編成は冷房二等車のみの3両。おざなりな掃除しか受けない汚れた窓は開くことができない。また多くの乗客は、日差しを避けるためカーテンを引いている。よってインドシナの熱風を感じることはできず、泥田に咲く蓮の花の、濃い紅色を愛でることもできない。タイの列車は、昼は三等、夜は二等寝台に限ると、早くも悟る

きのうの日本経済新聞を読むうち、アユタヤは過ぎたらしい。前述の理由により、車窓の景色に関心が向かないのだ。また、通過する駅の名を確かめようとしても、これまた窓の汚さにより、著しく見えにくい。英語による駅名が、終わりの”tion”しか読めなかった駅は、北線と東北線に別れるバーンパーチー分岐だったかも知れない。

10:45 バーンパーワーイを通過
10:50 ロッブリー着
11:35 ひと車両に一人ずつ乗ったサービス係のオネーサンが弁当を配り始める。

タイの特急で支給されるメシの不味さについては藤井伸二の「タイ鉄道散歩」で読んではいた。しかし本当に不味いかどうかは、試してみなければ分からない。

“Cooked Thai Jasmine Rice”はタイ米だからというわけではなく、ポロポロで固まっている。”Fried Mackerels Chilli Saice”は、鯖というより鰯のように小さな魚が甘く煮込まれてはいるけれど、辛くはない。”Sweet Fried Chicken”は、どこが”Fried”なのか分からない。それぞれ匂いを嗅ぎ、舐め、そしてほとんどすべてをオネーサンに返却する。

そうしてコモトリ君が持たせてくれた、手製のおむすびと焼叉の辛味噌和えを本日の昼食とする。おむすびも焼叉も美味かった。

これまた悪口になるけれど、”DRC”と表記されるディーゼル特急でなければ、不味いメシなどあてがわれず、各駅のプラットフォームや、あるいは次々と乗り込んでくる弁当売りのオバチャンから上出来のガイヤーンやガパオ飯が買えるのだ。

12:19 ナコンサワン着(42分の遅れ)。19分間の停車
13:04 チュムセーン着36分間の停車
14:02 タパーヒン着。10分間の停車。
14:40 外の景色を撮りたくなって便所へ行く。ここにだけは爽やかな風が吹いている
15:00 ピサヌローク着(1時間48分の遅れ)

この7号列車は、昼前ころからラジエターに不具合が発生したらしい。よって停まる駅、停まる駅で、そのラジエターにホースの水をかけて冷やしている。また不具合は、ラジエター以外のところにも及んでいるらしい。2012年8月のウボンラチャタニー行き、また昨年のスンガイコーロク行きのときとおなじく、列車の遅れに怒ったり焦燥を募らせたりする乗客は皆無だ。そして国鉄側からの説明も一切、無い。

15:49 バーンダーラー通過
15:51 ターサックに停車
15:59 トゥーン通過
16:02 ワーンカーピー通過
16:10 ウッタラディット着(1時間48分の遅れ)。且つ、46分間の停車

ウッタラディットでの停車中に、後ろからバンコク発デンチャイ行きの列車が来る。それに乗り換えさせられるのだろうかと考えたけれど、そのようなことは言われなかった。謎のデンチャイ行きに追い越されたのは、本日2度目のことである。

ウッタラディットを出ると、徐々に高度が上がっていく。これまで直線を激走することの多かった車両が、山あいの谷や切り通しを蛇行し始める

17時56分、ようよう目的のデンチャイに着く。定時に2時間36分遅れの到着である。日暮れのちかい時間で心配をしたけれど、駅を出るとソンテウの運転手らしいオバチャンが手招きをする。タイ語をカタカナ読みしても通じない。「プレー」ではなく「プラエッ」と素早い巻き舌で強く返してみる。オバチャンは頷いて荷台を指した。

ソンテウには、赤ん坊を抱いて助手席に収まっている人の子供らしい女の子が2名、タイ人2名、ファラン1名、そして僕が乗っている。プレーまでの料金は60バーツと告げられた。片側3車線の広い道を、オバチャンは時速45キロでゆっくり走る。計器板では、燃料が残り少なくなったことを知らせる警告灯が点いたままになっている。

先ずは、スマートフォンで場所を示したファランが”Come Moon Loft Hotel”という名の小さなホテルで降りる。次にタイ人のひとりがかなり大きなホテルで、またもうひとりのタイ人は助手席の女の人、赤ん坊、荷台のふたりの女の子と共に降りた。

女の子を降ろす手伝いをしたオバチャンが僕の方を見る。「ロンレーム、ジンジャーブレッ、タノン、チャロンムアン、カイカイ、ポリーステイション」と告げる。タイ語の発音にはコツがあるのだ。赤信号で泊まったソンテウの荷台から外の”BED & BREAKFAST”の文字を眺めつつ「プレーにはこの手のゲストハウスが多いんだな」などと考えていたら、運転席から降りてきたオバチャンが「ここだ」と身振りで示す。なるほどそこは僕が日本から予約をした”Gingerbread House Gallery”だった。時刻は18時47分になっていた

チェックインの手続きをしつつ、薄い藍染めのベストを着た趣味の良いオカミが「インディゴは好きですか」と訊く。タイパンツを穿いた、僕の服装に何ごとかを感じたせいかも知れない。「もちろん好きです」と答えると「私の友だちが藍染めの工房を経営しています。よろしければご紹介しましょう」と、押しつけがましさの一切、感じられない表情と口調で言った。願ってもないことである。

宿は街の中心にある、小ぶりなところが好きだ。チークの古建築による宿の二階には外の階段から上る。廊下から見おろす交差点は、いにしえには街一番の交通量を誇っていたところかも知れない。部屋は「チークの小箱」とでも形容すべき可愛らしさで、居心地は大いに悪くない

地図やインターネットで知ってはいたけれど、オカミもまた、旧市街へと至る「勝利の門」ちかくに広がる屋台街を教えてくれた。よってホテルから数分を歩いてその場に至り、セブンイレブンで買ったビールと日本から持ち込んだラオカーオにて飲酒活動に入る。


朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 7番列車ディーゼル特急の車内食コモトリケー君による2種のおむすびと焼叉の辛味噌和え
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の串焼き、バミーナム、シンハビール、ラオカーオ”Black Cook”(生)

 

  

上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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