2021.4.19 (月) 書をたばさんで
年に1冊くらいは、読みながらページの減っていくことが惜しくてならない本に出会う。このひと月ほどは、そのような2冊が立て続けに舞い込んで幸せだった。
小澤征爾といえば大スターであり「世界のオザワ」である。それに対して山本直純は、今はもう知らない人も多いだろうし、僕からすればテレビタレントの印象が強い。そのオザワをして「僕はいつも彼の陰にいました。でも対抗心なんて全くなかった。彼(直純)の方が圧倒的に上だったんです」と言わしめた山本直純の天才ぶりを、柴田克彦の「山本直純と小澤征爾」は縦横無尽に書いている。
もう1冊について。1970年11月25日、学校から帰って玄関に入ると、真っ先に出てきたのはおばあちゃんだった。「大変なことがあったんだよ、三島由紀夫が切腹して死んじゃったの」と、おばあちゃんは息せき切って僕に伝えた。翌日、今市中学校2年3組の窓際で級友に、前日の出来ごとについて話しかけた。相手が誰だったかは思い出せない。彼は、僕の問いかけにまったく興味を示さなかった。
中川右介の「昭和45年11月25日」は、その日、誰は、どこにいて、三島の死をどのようにして知って、何を感じ、どう行動をしたかの、121人分を集めたものだ。その顔ぶれは当時の防衛庁長官・中曽根康弘から、いまだ世に出る前の荒井由実までと範囲は広く、意外性に富んでいる。印象に残ったのは、椎根和と寺山修司。
市ヶ谷のバルコニーから撒かれた「檄」は、死出の旅路の花吹雪。とすれば、その文章は更に彫琢されるべきだった。あるいまた、古今東西の演劇に精通しつつ任侠映画を好み、当日午前、時間調整のため周回した神宮外苑では学生たちと「唐獅子牡丹」を歌った三島なら、あれこそが、実はふさわしかったのかも知れない。著者による239ページ10行目からの2行は、個人としては不要。ただし279ページ末尾2行から281ページ5行目までは、まさに「おっしゃるとおり」だ。
さて、棚には次に読まれるべきものが控えている。「書をたばさんで町へ出よう」である。
朝飯 ベーコンと長葱とセロリの雑炊、ごぼうのたまり漬
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 冷やしトマト、胡瓜のぬか漬け、刻みキャベツを添えた豚カツ、豆腐と大根と万能葱の味噌汁、芋焼酎「妻」(前割のお燗)