2021.4.7 (水) 伊豆治療紀行(2日目)
きのうの夜、懐石料理だけでは足りずに小さくないおむすび2個を平らげた。にもかかわらず、今朝、風呂で測った体重は普段とそれほど変わらない56.4キロだった。BMIは19.5くらいのところだろうか。炭水化物は僕を太らせない。目の前には伊豆半島南西端の海と空が青く広がっている。
きのう伊豆高原駅前で調達したレンタカーにて伊豆スカイラインを越える。昼食は、天城山を間近に望む丘の上の蕎麦屋で摂った。そこから修善寺の街へ下る。
カンボジアの西バライのような超弩級を除いて、僕は名所旧跡には興味がない。それらを観るための教養に欠けているのだ。しかし湯ヶ島温泉の宿に入れるのは15時とのことで、しばし時間を調整する必要がある。町内役員のバス旅行でこの街を訪ねた際、自由時間にひとり散歩をしながら旧い教会を見つけた。それを覚えていたから、お土産屋にクルマを駐め、その修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂に家内を案内する。
それでも時間は隨分と余っている。修善寺に参拝し、修善寺川に面した茶屋で一服をしてようやく14時が過ぎる。
修善寺から湯ヶ島温泉とくれば、なんと言っても川端康成だ。しかし僕はこのノーベル賞作家の作品をひとつも知らない。読んだものといえば「川端康成・三島由紀夫往復書簡」のみだ。一高時代の川端とは異なって、当方のクルマはほんの20分ほどで湯ヶ島温泉に至った。
「おちあいろう」の、幕を垂らした巨大な門の手前には2台分の駐車場があった。そこに後退でクルマを駐めようとしながら、奥まで入るよう手招きをする人の姿に気づく。その人に荷物を手渡しているところに身分は支配人になるのだろうか、満面に笑みを湛えたムラカミノブオさんが出迎えてくれた。ムラカミさんは上澤梅太郎商店が主催する研修「日光MG」に何度も来て下さった恩人である。
香のたきしめられた玄関から先ずは喫茶室に通される。そしてここで種々の説明を、女の人より受ける。そこから部屋に案内される途中には読書室があった。既にして部屋に運ばれていたザックから中川右介の「昭和45年11月25日」を取り出して即、その「大正時代のモダン」といった趣の小部屋に戻る。そして小一時間ほども静かに過ごす。僕にとって旅の一番の楽しみは、本読みを措いて他にはない。
17時より、国の登録有形文化財でもある建物の見どころを、女将が案内してくれる。特に3階大広間の紫檀による床柱は圧巻だった。これまで自分が見たことのあるものでは、趣味は異なるものの、智頭の石谷家住宅の大黒柱と双璧を為すような気がした。
ところでこの宿の飲物は、特別のものを除いてはいわゆる”inclusive”、つまり飲み放題だ。僕は酒を好む。しかし量としては、それほど飲まない。就寝は多分、21時前だったと思う。
朝飯 「赤沢温泉ホテル」の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
昼飯 「やまびこ」のサービスの野菜、飛竜頭、ざる蕎麦(粗挽き)
晩飯 「おちあいろう」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、其の九、「八海山」の純米大吟醸「ひょうたん」(冷や)、グラスの白ワイン、同赤ワイン