2021.4.6 (火) 伊豆治療紀行(1日目)
この日記にはたびたび書いてきたことだが、1998年の秋に感じ始めた背中右側の痛みが、同年の12月に至ると耐えがたいほどになった。整形外科の病院でブロック注射を打ち、総合病院を訪ね、ふたつの治療院で鍼を打ち、それでもどうもならないから「手かざし」まで試して、すべて効かなかった。最後に頼ったのが、facebookで偶然に知った、宇都宮の整体院だった。
ここの先生の言うことには、僕を納得させる力があった。通ううち、外科で処方された、不気味に感じつつ服用していた鎮痛剤は必要なくなった。背中の痛みが去ると、先生が予言をしていた通り左肩が痛くなり、それが収まると右膝の治療に移った。やがてからだの痛みはすべて霧消し「次の来院は2ヶ月後で大丈夫です」と言われるまでに回復をした。
「今後はこの先生、一本だ」と考えていたところ、先生は昨年の7月に治療院を閉め、秋にはあろうことか伊豆に引っ越してしまった。「そりゃぁねぇよ」と言いたいところだが、王侯でもなければ、自分の専属として雇うなどはできない。
そうして今日は、東武日光線、常磐線、東海道新幹線、伊豆急行と乗り継いで、伊豆高原には昼前に着いた。所要時間は実に4時間10分。僕にしてみれば、羽田からウドンタニーへ行くより面倒な行程だった。
およそ9ヶ月ぶりに受けた、9,000ボルトの電子ペンによる治療は強烈だった。痛さのあまり、額に脂汗が滲むと同時に吐き気を催すのだ。膝の、特に上部のいくらか肉のあるところはペン先の形に深く窪んだ。「この画像、facebookに上げるかな」と言ったら「患者が来なくなるから止めてよ」と先生は目を剥いた。先生の腕にやはり感服している家内は、しかし「私は電子ペンは必要ありません」と、あらかじめ逃げた。
今夜の宿は、治療院にほどちかい赤沢温泉郷だった。「だった」とは、今回の日程はすべて家内が決めたからだ。明日はどこかに移動をし、先生には、あさってまたかかる予定だという。「だという」とは、今回の日程はすべて家内が決めたからだ。
宿では夕方のうちに露天風呂に入り、21時前に就寝する。
朝飯 苺のタルト、コーヒー
昼飯 「ミクニ伊豆高原」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、ノンアルコールワイン
晩飯 「赤沢温泉ホテル」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、特別に頼んだ2種のおむすび、其の六、2種の地酒(冷や)