2021.1.24 (日) そのころのそのあたり
部屋の中が薄明るみを帯びている。時刻は3時10分。地面の雪が水銀灯の光をはね返し、それが4階の窓まで届いているのだろう。「そうだ、雪だよ」と飛び起き、すぐに服を着る。食堂に出てカーテンをずらし、外の様子をうかがう。幸いにも雪は、おしろいを薄くひと刷毛したほどしか積もっていない。しばらくして降りた製造現場の気温は摂氏7度。雪の朝は、気温は意外や下がらない。
雪はしかし、その後も降り続いて、止みはしない。始業時の積雪は9センチ。雪国の人には嗤われるだろう、しかし雪のそれほど降らない地方の者にすれば、たかだか9センチでも厄介だ。朝のミーティングでは、喫緊の仕事のない社員はすべて雪かきに当たるよう伝える。
店の駐車場、蔵の大木戸の外、隠居の周囲と庭の飛び石、その3ヶ所を結ぶ歩道の雪かきは、6名により9時40分に完了した。感謝に堪えない。
昼にラーメンを食べつつ日本経済新聞の、辻惟雄による「私の履歴書」を読む。
「1971年5月、妻と幼い娘2人を伴って文学部東洋・日本美術史学科の助教授として東北大学に赴任した」
「赴任した年の夏、初めて渡米した」
「訪米は6~8月の3カ月。充実した旅だった。1ドルが360円から308円になったばかりだが、まだ円が安かったので貧乏旅行だ」
と、この3ヶ所を目が辿ったところで「待てよ」と、赤い警告灯が頭の中に点滅する。iPhoneを取りだし「ドル円 360円 308円」とgoogleに入れてみる。
スミソニアン博物館で開かれた、いわゆる「スミソニアン会議」によりドル円が360円から308円に切り上げられたのは、果たして1971年12月のことだった。
1971年といえば僕は中学3年生。山の中にオートバイを隠し持ち、人目に付かないところで乗り回していた。それから数年のあいだにガソリンの価格は数倍になり、ドル円も急騰した。そのころのそのあたりについては、僕の記憶は結構、鮮明なのだ。
朝飯 鰯の丸干し、白菜漬け、メシ、トマトとズッキーニの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、白菜漬け、大根のキムチ、トマトとレタスのサラダ、カレーライス、Old Parr(お湯割り)