2020.7.14 (火) 次は月のころに
背骨と右肩胛骨のあいだの痛みが徐々に強くなり、我慢できないところまで達したのは、おととしの年末だった。外科の病院を訪ねると、レントゲン写真を撮られ、診察をされ、背中にブロック注射を打たれた。注射は数日をおいて2度うけたが、効果はせいぜい半日しか保たなかった。
年明け、その外科から宇都宮の総合病院に、MRIによる患部の撮影を予約してもらった。インターネットを介して返送された画像をコンピュータのディスプレイに凝視した外科の先生は「脊柱管が狭窄しているようにも見えますね」と言った。その言葉の調子は、僕には「脊柱管が狭窄しているように見なくもない」と聞こえた。
処方された鎮痛剤で痛みを鎮める日々が続いた。しかしいつまで鎮痛剤に頼ることは、僕にはとてもではないけれど、不気味でできない。
そんなある日「からだを妙な具合にひねり、どうにも痛みが去らないため、神の手により一発で治してもらった」と、facebookに上げた人がいた。僕は即、メッセンジャーで自分の窮状を訴え、その整体院について教えてもらった。
はじめその整体院には1週間に2度の割合で通った。治療の頻度は症状が軽くなるにつれ1週間に1度、10日に1度、2週間に1度と低くなっていった。背中の痛みは数ヶ月で霧消した。
「大きな痛みが去ると、それまで隠れていた別の痛みの出てくることがあります」という先生の予言を裏付けるように、今度は左肩にひどい痛みが浮上した。それもまた、先生は根気よく解かした。以降は右膝の不調を治しながら「次は2ヶ月後で良いでしょう」と言われるまでに、僕のからだは持ち直した。
昨年の正月から数えて今日は47回目の施術だった。9,000ボルトを発する電子ペンによる治療は、症状の重いときには、肌に突き立てたボールペンに10キロの重石を載せたほどの痛みを伴う。しかし今日はからだのどこに押し当てられても、ただ触れているだけにしか感じなかった。
先生は現在の施設を閉じ、来週から2ヶ月のあいだ勉強に没頭するという。宵の空に月の綺麗に上がるころになったら、また先生の携帯電話を鳴らしてみようと思う。
朝飯 切り昆布と細切り人参の炒り煮、納豆、茄子とオクラの炒め煮びたし、胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、大根と人参と胡瓜のぬか漬け、刺身湯波、メシ、揚げ湯波と菠薐草の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 手巻き鮨、「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(冷や)、水羊羹、Old Parr(生)