2020.6.29 (月) 方便
サイトー君と夜遊びをしていたのは、たしか1982年から83年にかけてのことだ。僕より年長らしいサイトー君を「サイトー君」と気やすく呼んでいたのは、まわりの人が「サイトー君」と言っていたからだ。
いつの間にか、その夜遊びを僕はしなくなった。みな次々と結婚をして、遊んでいる場合ではなくなったせいかも知れない。あるいは遊びの拠点としていた店の移転がきっかけだったかも知れない。遊び仲間の中でも、特にサイトー君については忘れがたいものがあった。そして16年前のちょうど今ごろ、僕は「サイトー君のメルセデス」という文章を書いた。
サイトー君とは、夜遊びを止めてから今日までの約37年のあいだに3回、顔を合わた。1回目は何十年か前に東武日光線の上り列車の中で、2回目は数週間前にウチの店で、そして3回目は今日だった。
昼ごろ事務室にいると、店からガラス窓を通して僕に手を振る人がいる。サイトー君だった。カゴを集めるのが趣味だと、サイトー君は僕にとって初耳のことを告げた。「カゴは、気持ち悪くなるほど持ってるの。これ、隠居の床の間に似合いそうだから」と笑いながら、サイトー君はやおらひとつの竹籠を差し出した。轡昭竹斎の、それは作品だという。僕はその、とても自分ごのみのカゴを、ボンヤリしたまま受け取った。
僕は収集家の性質を知っている。傍から見て気持ちが悪くなるほどの数を持ちながら、なお集めようとするのが収集家の性である。「気持ち悪くなるほど持ってる」とは、サイトー君の、僕に気を遣わせまいとする方便に過ぎない。
「それで、サイトーさんの連絡先は知ってるの」と、僕と共にサイトー君を見送った長男の声で我に返る。「メールも電話番号もSNSも知らない」と答える僕に「下の名前は」と長男は重ねて訊いた。「いや、サイトー君としか知らない」と、僕は去りつつある黒いワゴン車を目で追うのみだ。「それではお礼のしようがないでしょう」という長男のことばはもっともだ。
銀座でばったり会うようなことでもあれば、鮨をおごるくらいはできる。そのような機会のあることを、僕は強く望んでいる。
朝飯 油揚げと小松菜の炊き合わせ、茄子とオクラの揚げびたし、らっきょうのたまり漬、胡瓜と人参のぬか漬け、納豆、じゃこ、メシ、トマトと万能葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の冷やし中華
晩飯 カポナータ、ブロッコリーと白隠元豆のスープ、白魚と人参の葉のオムレツ、玉蜀黍と玉葱とベーコンのパン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、花林糖、Old Parr(生)