2020.5.22 (金) カオトム
目を覚ましても、現在の時刻を知ることはできない。夜のうちにソフトウェア・アップデートとやらを済ませるため、wifiのある事務室にiPhoneを置いてきたからだ。部屋の明るさを計ろうと闇に目を凝らす。明け方の明るさのようなものが、感じられなくもない。よって起床して洗面を済ませ、食堂に出る。食器棚の電波時計は2時17分を指していた。起きるには早すぎる時間だ。しかし既にして服は着てしまっている。取りあえずは事務室へ降り、iPhoneを取って4階の食堂へ戻る。
ダイニングキッチンを食堂と呼ぶことに、人は違和感を持つかも知れない。しかしこれは子供のころからの、オフクロからの刷り込みにより、今さらどうすることもできない。ところでよそのお宅に夕食に招待をされたときなどは、その家のおなじ場所を食堂と感じることはない。そしてその理由についてはは分からない。
それはさておき朝食までの時間をどうしよう。お湯を沸かし、仏壇に花と水とお茶と線香を供え、今日の日記をここまで書いても、時刻はいまだ2時56分だ。
「読みさしの本があったはずだ」と、食堂から応接間に出る。その、南西に窓を持つ場所の一角から北東に延びる廊下の本棚に、天井の明かりを点けつつ近づく。しかし読みさしの本はどれだったか、それを思い出すことができない。仕方なく目についた「本の雑誌」の2011年3月号「いま冒険本・探検本が熱い!」を選んで食堂に戻る。そして目次から沢野ひとしの「北京のお粥屋」を選び、当該のページを開く。
天壇公園ちかくの天橋という、いささかうらぶれた界隈で入った粥屋の、案に相違して素晴らしかった粥について、沢野は微に入り細を穿って語っていく。残念ながら僕は、中国で粥を食べたことはあっても、それほどのものには出会っていない。そうして2015年の秋にタイ北部の山中で食べた、引き抜いたばかりのレモングラスで香りづけしたカオトムを思い出す。あれは美味かった。「カオ」は「米」、「トム」は「煮る」をあらわすタイ語である。
朝飯 焼き鮭の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、スペイン風目玉焼き、山椒の佃煮、らっきょうのたまり漬、メシ、若布と大根の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 セロリの酢漬け、らっきょうのたまり漬、Old Parr(ソーダ割り)、トマトとレタスのサラダ、茹でたブロッコリーとビーフステーキを添えたカレーライス、San Pedro Castillo de Molina Syrah 2015、メロン