2020.4.11 (土) 春の弥生は
毎年このころになると、探す本がある。その文章によって、ありありと目に浮かぶ風景は、いつも変わらない。ところがその随筆が、高橋義孝の、いずれの本にあるかについては覚えていない。
今日の夕刻も、廊下の両脇にしつらえた棚の、その本の置いてあるあたりを見ていく。そして、なぜかプラスティックかセロファンか判別のつかない厚さと手触りの、透明の袋に包まれた文庫本に目星を付け、それを引き出す。
思いあたる題名は、目次の2ページ目にあった。
「酒のみで、文字通り飄々として町を歩くことの好きな友人がいた」という冒頭だけで、その友人の、既にこの世にはいないことが何となく分かる。その友人と著者である独文学者は、春のとある暮れ方に、新橋に出て一杯やる。
年長の友人は、その飲み屋で先ず「あさつきのぬたを二人前」注文する。高橋義孝は師匠の内田百閒から「ヤマタさん」と、ヤマタノオロチ呼ばわりされた酒豪である。友人については初めから「酒のみ」と書いてある。彼らはあさつきのぬたを取りながら「ひと口、ふた口」のみで足りている。次いで頼んだ木の芽和えにも「香りを嗅ぐ程度」にしか箸を向けない。
ふたりしてコップ酒を呷っているものの、交わされる言葉はそれほど多くない。それでも彼らは「あぁ、春だなぁ」という気持ちを同じくしてる。更には「われわれふたりがつまり春そのものなのである」とまで、著者の筆は及ぶ。そして直後に「この友人は先年亡くなってしまった」とあって、「やっぱり」と、僕はすこし呆けたようになる。
毎年いまごろになると決まって読みたくなる、高橋義孝の「春の弥生は」である。
朝飯 東坡肉の肉だけ、納豆、揚げ玉と万能葱を薬味にした冷や奴、生玉子、ごぼうのたまり漬、メシ、菜花の味噌汁
昼飯 菜花のつゆで食べるざるうどん
晩飯 春雨サラダ、炒り豆腐、「ふじや」の焼き餃子、「紅星」の「二頭鍋酒」(生)