2020.3.10 (火) タイ日記(9日目)
「キュウィッ、キュウィッ」と啼く鳥の名前は何だろう。その声は「ホウイッ、ホウイッ」と聞こえるときもある。いずれにしても、おなじ種類の鳥だろう。時刻は3時24分。この鳥は、日の昇る前から啼く。昼も啼くから、夜行性というわけではない。
時刻を確かめるため見るiPhoneの画面には、このところは多く、ダウ平均株価の乱高下を伝えるニュースが現れる。先週までの下げは、長く続いた官製相場の揺り戻しと思われる。しかし今週からのそれは明らかに、新型コロナウイルスが作り出した社会不安によるものだ。
窓の外が明るくなりつつある、6時すぎより荷造りに取りかかる。荷造りは、小一時間ほどで完了した。来たときより減ったところに社員への土産を納め、重さは多分、来たときと同じ10キロ前後。ひとり公共の交通機関を使いながらの旅なら、これくらいの重さが僕には限度だ。
朝食を済ませるとすぐに、プールサイドへ降りる。そしてきのうより読み始めた本を開く。パンツは濡らしたくないから、今日は泳がない。
となりの寝椅子に、孫娘を連れた、白人のオバーサンが来る。オバーサンは、ローレンス・サンダーズの大きく分厚い本をたずさえている。しかし3、4歳の活発な孫を伴っていては、とてもではないけれど、本を読むことはできないだろう。
オバーサンは僕を気にして、静かにするよう、しきりに孫に声をかける。女の子はそのうち、プールの中からオバーサンに水をかけ始めた。親でもなければ、オバーサンも、それほど強くは叱れない。
日除けの傘と、プールサイドに植えられた樹木のあいだに太陽が顔を出す。やがて僕の全身を、直射する光が焦がしはじめる。暑い。そして眩しい。しかしここで寝椅子を離れれば、僕が孫娘を嫌って移動をしたと、オバーサンは考えるだろう。
「マダーム」
「私のことですか」
「太陽の光がきつくなり始めました」
寝椅子を指す僕に「確かに暑いわね」と、オバーサンは同意をする。
「ですから僕は、あちらの日影に移ります。どうぞお楽に」
「どうも有り難う」
プールサイドのバーの時計が11時になりかかるのを認めてから寝椅子を離れる。からだは汗に覆われている。上半身にタオルを巻き、その上にシャツを巻き付ける。こうしておけば、裸でロビーを横切ったことにはならなないだろうという、僕の勝手な解釈である。
シャワーを浴び、水着とゴム草履をスーツケースに収めるなどの、最後の荷造りをする。パスポートや現金の扱いには、特に注意をする。必要な金額のみをサイフに収め、フロントに降りてチェックアウトを済ませる。このホテルのそれが特に高いわけではないけれど、クリーニングの代金は、ウドンタニーの洗濯屋の10倍だった。スーツケースとザックを預けて外へ出る。
現在時刻は12時15分。それに対してタイ航空機の出発時刻は23時45分。
先ずはsoi8まで歩き、エイトトンローの正面、セブンイレブンに向かって右手の、建物と建物の隙間に店を出すガオラオ屋に入る。トンローにいながら、この店に寄らないわけにはいかない。ガオラオは数年前に5バーツだけ上がって40バーツ、大盛りは45バーツになった。
昼食を済ませ、トンローの大通りを、クルマやオートバイを避けつつ横断する。目と鼻の先のセンターポイントグランデのロビーを奥まで歩き、エレベータを5階で降りる。そしてそこにあるLet’s Relax Spaの扉を押す。ここは日本にあるサウナ風呂の高級版だ。入浴料は700バーツ。受付の女の人が体温計を僕の額に向ける。僕は熱いスープを胃に収めたばかりで、しかも炎天下を歩いて汗をかいている。「あー、まずい」と一瞬、心配しかけたものの、体温は36.6度で、無事に入店を許される。
土曜日の現地紙は、バンコク最大の国鉄駅フアランポーンを、防護服に身を固めた職員が消毒する様子を載せていた。金曜日、空港からエアポートレイルリンクに乗る際に、僕は改札口で警備員に体温を測られた。そして今回の検温である。今、日本の駅で、プラットフォームを消毒しているところはあるだろうか、あるいは日本のスーパー銭湯やスポーツジムで、入場前に客の体温を測っているところはあるだろうか。
Let’s Relax Spaの造作は、まるで007の敵スペクターの秘密基地のように立派だった。しかし客は僅々5名。その空き具合もあって、風呂上がりに休む部屋の快適さは最高。本を持ち込んだものの、それを読める明るさではなく、しばし昼寝をする。いや、しばしよりは長かった。
いささか寝過ごして外へ出る。昨年トンローに滞在した6月にくらべて、どうも赤バスの本数の減った気がする。しかも渋滞が始まっている。ここからトンローの駅までは1キロ弱。汗はかきたくない。小さな接触事故でも死の可能性のあるモタサイはできるだけ避けたいものの、便利は便利だ。これを使ってsoi1のちかくまで、ほんの1、2分で移動する。そしてホテルに預けておいたふたつの荷物を引き上げ、駅のちかくで2時間のマッサージを受ける。
トンローから空港へ向かうときにはいつも、スクムビット通りに面した55ポーチャナーで、オースワンを肴に飲酒活動をする。今日も外の席に着き、オースワン、ソーダ、バケツの氷、そしてプリックナムプラーを頼む。
「弱くなったんだから、もう、あんまり飲まない方がいいよ」とは、このところ家内にたびたび言われることだ。それが頭にあって、ホテルの部屋を出るときには、ラオカーオは小さな空のペットボトルの半分ほどまでしか入れなかった。そのラオカーオが見る間に減っていく。
帰国便の時刻は先週の水曜日に、23:15発が23:45発に変更されている。「ラオカーオの残りは少ないけれど、あとひと品、頼むか」と、何年も前から外を担当している、金色に染めた髪を妙な具合に束ねたオバチャンに、メニュを持って来てもらう。そして昨年だったか、店内にいる現地の客が食べていて羨ましかった、豚の内臓の煮込みらしい写真を見つける。メニュのタイ語を読んでもらうと「サイフォロー」とオバチャンは言った。その発音はまた「サイパロー」と聞こえないこともない。とにかく”Crispy pork’s stomach”と英語の添えられたそれを注文する。
席に届けられたそれは豚の胃袋ではなく、小腸の煮込みだった。いずれにしても、この手は大好物である。残り少なくなったラオカーオは、2本目のソーダで薄く割った。
21:01 BTSスクムビット線とエアポートレイルリンクを乗り継いでスワンナプーム空港に着く。
21:39 ちょっとした列に並んで搭乗手続きを完了。
混んでいたのはタイ航空の一部のカウンターのみで、空港内は、これまで見たこともないような、人の少なさである。
21:54 保安検査場を通過
22:02 出国審査場を通過
旅の初日、僕の、マツモトキヨシの破れたプラスティックバッグを見かねて、マッサージのオバチャンがセブンイレブンのエコバッグをくれた。搭乗ゲートへ向かう途中の”DEAN & DELUCA”が売るトートバッグには、セブンイレブンのそれの、60数倍の値札が付いている。「バカ、あたりめぇじゃねぇか」と嗤う人もいるだろう。しかし僕の趣味からすれば、セブンイレブンのそれの方が、いかにも格好良く感じられてならない。
22:20 E1Aの搭乗口に達する。途中、僕でも入れるラウンジはあった。しかしそこで眠り込んでしまうことが怖いから、使うことはしない。
23:08 周囲に人の動く気配で目を覚ます。どうやら搭乗が始まったようだ、そしてバスに運ばれた先で飛行機に乗り込む。
朝飯 “SALIL HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 エイトトンロー正面のセブンイレブン右手のガオラオ屋のガオラオ(大盛り)
晩飯 “55 Pochana”のオースワン、豚の小腸の煮込み、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)