2020.3.6 (金) タイ日記(5日目)
「人生も、半分が過ぎたと思うと寂しい」と、僕が2歳のときに入社をして、44年のあいだ勤めてくれたヒラノショーイチさんは言った。人生の半分が過ぎても、寂しいという気持ちは、僕には起きない。旅の日程の残りが半分を切ったときにこそ、僕は寂しさを覚える。本日は、今回の旅の中日にあたる。
5時45分にロビーに降りる。「いまチェックアウトをすると、6時からの朝食は食べられませんか」と、フロントのオニーチャンに訊く。「大丈夫です」と彼の答えるのを待ってからチェックアウトを頼み、また空港までの、6時15分発のシャトルバスを予約する。時刻は5時55分。「もう入れます」と、オニーチャンは食堂の入口を指し示してくれた。
フロントのオニーチャンには、気を利かせてもらって助かった。6時14分に食堂を出る。ベルボーイが僕のスーツケースを、ポーチに駐められたワゴン車まで運ぶ。チップは20バーツ。オニーチャンはそのまま運転席に着いた。雨が弱く降っている。ワゴン車は来たときのバスとは異なって、裏道を抜け、空港には僅々10分で着いた。スーツケースを降ろしたオニーチャンに、更に20バーツのチップを手渡す。
「シャトルバスの本数が少なすぎる。よって自分は150バーツをかけて、トゥクトゥクで空港へ向かった。バス代がただになるからこそ決めた宿だっただけに、納得がいかない」と、ホテルの予約サイトのレビューに書いた人がいる。
人にはそれぞれ行き先がある。空港からは何本もの便が飛ぶ。各々の都合に合わせて都度、ワゴン車を出していたら、無料は維持できなくなる。ホテルの客は、あなただけではないのだ。ほんのすこし頭を巡らせれば分かることを分からない人が、世の中にはたくさん、いる。
06:30 係員のいるカウンターはノックエアのそれのみ。よって空港ビルの中を、増設された新しいターミナルBまで移動をして、より座り心地の良い椅子で本を読む。
07:05 タイスマイル航空の搭乗手続きを完了。搭乗口は1番、搭乗時刻は8時25分。
08:41 搭乗開始
09:00 “AIRBUS A320-200″を機材とする”WE003″は、定時にウドンタニ国際空港を離陸。
09:42 バンコクが近づいたことを示す、細長い農地が見え始める。
09:53 “WE003″は、定刻より12分はやくスワンナプーム空港に着陸。
10:22 回転台から荷物が出てくる。
僕の考えるところ、それは新型コロナウイルス禍によるものではない、これまでが高すぎたゆえに、アメリカや日本の株価は暴落、その後は低い位置での乱高下を繰り返している。その相場を上げるため、また諸々による景気の悪化を避けるため、アメリカは利下げをした。それにより、米ドルに対して円が高くなっている。
空港ビル地下1階に集まる両替所では、各店、月曜日の1万円あたり2,880バーツから、今朝は1万円あたり2,960バーツになっていた。それを見て、日本円の入った封筒から紙幣のすべてを取り出し、空いている”VALUE PLUS”でタイバーツを買う。日本円の残金は589円。PASMOを紛失したら、家には帰れない。
エアポートレイルリンクの改札口で、警備の兵士に体温計を額に近づけられる。体温は36.3度。ちかくに置かれたプッシュポンプ式のアルコールを、手の平と甲に擦り込む。
10:47 エアポートレイルリンクの車両が空港駅を発車。間もなく日本から電話が入り、次のラックラバンで下車する。ウドンタニーは雨がちで肌寒かった。一方、バンコクは晴れて、素晴らしい暖かさだ。
11:02 電話を終えて、2本後の車両に乗車する。「マイペンライ」の国民性を持つタイ人にもかかわらず、およそ8割が、車内ではマスクを着用している。
終点のパヤタイで、BTSのスクムビット線に乗り換える。車内では、車両やプラットフォームを消毒する動画が流されている。僕も今回は、現地の人に不安感、不快感を与えないよう、公共交通機関の中では、マスクを付けるよう心がけている。
トンローの駅から徒歩5分のホテルには、昼前に着いた。ロビーに置かれた外気温度計は、33度を示している。トンローには、いまだ緑が多い。部屋の窓からも、それが望めて気分が良い。
このところ、個人による旅先では昼食を摂らない。しかし今日は早朝から移動をしたせいか、腹が空いている。部屋を出て裏道を辿り、スクムビット通りまで出る。そしてsoi49のパクソイからプロンポン方面に30メートルほどいったメシ屋で汁麺を食べる。いつ来ても、上出来の汁麺だ。
15時より17時までは、ホテルのプールサイドに降りる。そして旅の初日から読み始めた、石川文洋の「ベトナムロード」を読み終える。
それはさておき、ウドンタニーで3日つづけて受けたオイルマッサージの、油が肌に合わなかったか、強く擦られ揉まれた太股とふくらはぎに湿疹ができた。日本から持参した薬はまったく効かない。検索エンジンで調べたところ、それは帯状疱疹の薬だった。よってトンローの駅からBTSでふた駅を移動し、アソークのブレズ薬局で塗り薬を買う。価格は45バーツ。
トンローに戻ると時刻は18時10分。駅の歩道橋からスクムビットsoi38を見おろす。ここに屋台のひしめいていた時代を、僕は知らない。歩道橋を降りて、目と鼻の先のフカヒレ屋の2階に上がる。バンコクMGの主催者および参加者の一部は、既にして前夜祭を始めていた。その中に僕も混じり、2時間ほども歓談をする。
前夜祭を終えた面々は、三々五々、それぞれの目的に応じて移動をしようとしている。「講師を務める朝は、3時に起きて準備をする」というタナカタカシさんと、夜にからきし弱い僕は、ホテルに直帰である。soi15のホテルまで赤バスを使うタナカさんを見送ってから僕は、ひとり歩きの女の人なら恐がりそうな、薄暗いsoi1に入る。
ホテルに戻ったのは、20時30分のころと記憶する。シャワーを浴び、冷房の電源と部屋の明かりを落として即、就寝する。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三、“WE003″の機内食、そのコーヒー
昼飯 「東明」のバミーナム
晩飯 「スクンビットシャークフィン」の焼売、クンオップウンセン、ナマコの牡蠣油炒め、フカヒレの玉子炒め、フカヒレスープ、カオパップー、ビール、「サントリー角瓶」によるハイボール