2020.3.5 (木) タイ日記(4日目)
きのうと同じく、いまだ日の改まっていないうちに目を覚まし、長い夜を過ごし、眠れたのか眠れなかったの判然としないまま早朝に起き出す。今朝もまた雨が降っている。気温も、プールサイドに降りる気などまったく起こさせない低さである。
「蚊が入るから常に閉めておけ」との注意書きを無視して、部屋からベランダに出るガラス戸を開け放つ。僕の知るタイの雨は、降ってもすぐに止む。しかし今日のそれに限っては、いつまでも上がらない。旅の荷物の一覧表には「傘」と入力してあるものの、それを持参したことは一度も無い。今日は部屋で本を読むしか、過ごしようはないのだろうか。
午前、コンピュータのメーラーを巡回させながら、宇都宮の旅行社からメールの入っていることに気づく。「バンコクからの帰国便に、フライトスケジュールの変更が生じた」というのが、その内容だった。往路は機材の変更、そして復路は時間の変更である。新型コロナウイルスによる世界規模の混乱は、いつ収まるのだろう。
明朝、バンコクへ飛ぶ飛行機の出発時刻は9時。空港へは、この街に入ったときと同じ”UDON CITY BUS”を使おうと考えていた。しかしきのうも今日も、朝は雨だ。もし明日も雨とすれば、センターンちかくの停留所まで、スーツケースを曳いて歩くわけにはいかない。フロントに降りて、カウンターに置かれた時刻表を見る。朝の便は6時15分。食堂が開くのは6時だから、朝食を摂るひまも無い。あるいは、トーストとコーヒーくらいなら、食べられるだろうか。
フロントから戻る途中、4階の廊下にメイドを呼び止め、部屋の掃除を頼む。彼女がリネン類を取りかえ床を掃き、またモップをかけるあいだは、邪魔にならないよう、安楽椅子で本を読んでいた。チップは汁麺1杯分の40バーツ。
雨は正午を過ぎてようやく上がった。どこかに喫茶店はないか。本を手に外へ出る。しかし思うような店は見つからない。”Pho Si Road”をかなり遠くまで歩いてから、商売は朝のうちに終えてしまったのだろう、ひとけのないタイイサーン市場の中を抜けてホテルに戻る。
薄日が差してきたのをしおに、プールサイドに降りてみる。しかしやはり、上半身はだかでいられる気温ではない。キリの良いところまで読んでしまおうと考え、しばらくは本を開き活字を目で追い続けたものの、やはり寒い。1時間ほどで引き上げ、きのう出した洗濯物を洗濯屋へ取りに行く。そして以降の時間は荷造りに充てる。
18時が近づくころに外へ出る。駅前の、目抜き通りを隔てて北側にあるのが、初日と2日目に夕食を摂った”NIGHT PLAZA”、そして南側にあるのが”UD TOWN”だ。その奥まで入ってみれば、こちらの方が圧倒的に賑やかだ。
おとといの仇を討つつもりで、カオカームーの店に近づく。鍋には火が入っているから、冷たいことはないだろう。ごはん抜きのカームーを注文する。オネーサンは、いかにもコラーゲンの多そうなところを薄く刻み、皿に綺麗に並べた上、澄んだ煮汁をかけてくれた。価格は、おとといの不味かったそれより安い50バーツ。
席を探しながら、小ぶりな鍋をつついている若い人たちに気づく。「それ、どこで」と訊くと、笑いながらすぐ脇を示す。店の名前は”Star Seafood”。「モーファイ…」と呟くと「トムヤムクン?」と、店のオニーチャンは勢いよく返してきた。反射的に「ナムサイ」と答える。僕はトムヤムクンは、ココナツミルクを加えた「ナムコン」よりも、澄んだスープの「ナムサイ」を好む。オニーチャンは笑顔で頷いた。こちらの価格は150バーツ。
トムヤムクンもカームーも、今夜のそれは大当たりだった。ウドンタニー最後の夜に当たりくじを引くことができて、とても気分が良い。
「チェンマイに、美味いドイツ料理屋があるんですよー」とか、バンコクで「カオソイ、カオソイ」と騒ぐ人を、僕は鼻で嗤う。しかしその僕も、気がついてみれば、シャム湾から600キロも北上したウドンタニーで、海のものを食べているのだ。
ホテルに戻ってシャワーを浴びると時刻は19時40分。即、明かりを落として寝台に横になる。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
晩飯 “UD TOWN”の”Star Seafood”のトムヤムクン(ナムサイ)、カームー、ラオカーオ”RUANG KHAO”(ソーダ割り)