2020.3.3 (火) タイ日記(2日目)
目を覚まして数秒を経てようやく、いま自分はウドンタニーにいる、ということに気づく。サイドボードにiPhoneを手探りする。時刻は2時ちょうど。就寝が20時であれば、この目覚めの時間も「むべなるかな」である。
海外へ出たときの、特に1日目の日記は長くなる。その日記を書くうち、ひどく腹が空いてくる。旅先にはいつも持参する粉末のコンソメスープを飲んで、その空腹を紛らわす。
明け方がちかくなるころ、妙な音に気づく。風がどこからか吹き出しているような音だ。しかし部屋の冷房は止めてある。風呂場の換気扇も止まっている。しばらくするうち、またその音が高くなる。部屋とベランダを隔てている二重のガラス戸を開いてみる。音は果たして、目と鼻の先にあるバービヤ街”Day & Night”の巨大なトタン屋根を、雨が激しく打つものだった。それにしても、ウドンタニーの天気はめまぐるしく変わる。雨期は、いまだ始まっていない筈ではなかったか。
長い日記を完成させてから食堂に降りる。プールサイドには卵料理を注文できる屋台が出ているものの、宿泊客が少ないせいか、そこに調理人の姿は見えない。
今朝は髪に寝癖ができていた。よってきのう、目抜き通りを駅へ向かう北側の歩道に見つけておいた床屋”LONDON”へ行く。2種のバリカンによる調髪と顔剃りで料金は200バーツ。僕はタイではいつも、バリカンには2番の下駄を履かせてもらう。しかしこれではすぐに長くなってしまいそうだ。次は1番で頼んでみよう。
散歩をしながらホテルに戻り、以降は午後までプールサイドで本を読む。
きのう予約をしておいたマッサージ屋には15時前に入った。タイのマッサージは、古式であれオイルであれ、持ち時間の8割は足と脚への施術に費やされるような気がする。今日はふくらはぎの内側、脛の骨に沿ったところを長々と責められた。オバチャンの指は、コリを見つけると、そこに長く留まって、強く揉み続ける。その痛みに思わず、背筋に緊張が走る。脚のコリをほぐすために背中のコリがひどくなる、というようなことはないのだろうか。
マッサージの途中から、雨が激しくトタンの軒先を叩き始める。日に2度は雨が降る。その雨は日本の夕立とおなじく、いきなり落ちてきて、しかしすぐに止む。雨の弱くなったところで外へ出る。雨は、セントラルプラザの中を徘徊するうち、ふたたび強まった。しばらく雨宿りしてから、ようやくホテルへの道を辿る。
夜は、きのうに引き続いて、目抜き通りの駅ちかく北側のナイトプラザへ出かける。きのうとは異なるカオカームー屋で、そのごはん抜きを注文する。結果は失敗。味は悪くないものの、作り置きのため冷たい。おまけに粘度の高いソースが大量にかけてあって、味が濃すぎる。仕方なくそれを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。しかし今夜の食事がこれだけでは気が済まない。
きのうセンヤイパッキーマオを注文した店で、きのうの女の子にカオパックンを頼む。それで仕上げて、今夜の飲酒活動を完了する。
ホテルの建つサンパンタミット通りは、ウドンタニーにふたつみっつあるバービア街のひとつだ。客のほとんどは、からだに刺青を施した白人である。まるで浦島太郎だが、ここで遊ぶうち、いつのまにか年を経てしまったように見受けられる老人も少なくない。この街にはかつて、アメリカ軍の基地があった。しかしそれは、遠いむかしのこと。この街に白人の多い理由は何だろう。
部屋に戻り、シャワーを浴びると時刻は19時50分。夕刻に降った雨は気温をいちじるしく下げて、冷房の必要はない。即、明かりを落として就寝の体制に入る。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
晩飯 駅からの目抜き通り北側のナイトプラザのカームー、カオパックン、ラオカーオ”RUANG KHAO”(ソーダ割り)