2020.3.2 (月) タイ日記(1日目)
うつらうつらするうち、機は滑走路まで移動をして、やがてエンジンが轟音を発する。”AIRBUS A330-300″を機材とする”TG661″は、定刻に10分おくれの00:30に羽田空港を離陸。数分後に「ポーン」という音は聞こえたものの、シートベルトの着用義務が解除された旨の電光は掲示されない。やがて前の人が椅子の背もたれを倒す。それに倣って僕も背もたれを倒し、同時に胸のポケットに、飲みやすいようあらかじめ小さな袋に分けておいたデパスとハルシオン各1錠を服用する。
「あんた、両方のまないと効かないよ」とオフクロの遺したこの2種の薬は、効くときにはまこと、一瞬で効く。しかし今日に限っては、いつまでも効かない。後席の女の二人連れは、ようやく会話を止めた。ちかくの席にいるらしい小さな子供も、いちど叫んだきり静かになった。僕の席より後ろには、ラオスとミャンマーの若いサッカー選手たちが、静かに寛いでいる。それにしても眠れない。特に下半身が、毛布を巻きつけているにもかかわらず寒い。
03:55 ディスプレイに現在位置を探ると、機はいまだ台湾本島の最南端、つまり鵝鑾鼻のあたりを飛行中だった。いつもであれば、目覚めたときには、機は既にして海南島の東海上に達していることが多い。
05:35 いつの間にか機内が明るくなり、客室乗務員は熱いおしぼりを配り始めている。
05:50 朝食の配膳が始まる。
06:10 ダナンの海岸線からベトナムの上空に入る。ディスプレイには”BKK→1H5M”の文字。
06:11 洗面所で口をゆすぎ、歯を磨く。
06:15 客室乗務員がプラスティックの手袋をはめた手で、タイの入国カードを配り始める。別の客室乗務員は、これまた手袋をして、洗面所の扉の取っ手をアルコールで拭いている。
07:04 地上の明かりが見え始める。バンコクの上空には、ところどころに低い雲がある。
07:07 機体から車輪が降ろされる。
“TG661″は、定刻より15分はやい日本時間07:10、タイ時間05:10にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:29 新型コロナウイルスへの水際対策により、数日前に新設された体温測定装置の前を通過。ちかくに立つ複数の係員は「はいはい、どんどん進んでー」というような手振りで旅客を先へと急がせる。その脇を我々は重なり合って通過する。そんなことで、個々の体温など計れるものだろうか。
05:35 入国審査場を通過。
05:38 5番の回転台の前まで行くと、僕のスーツケースは既にしてその上を運ばれていくところだった。
05:48 到着階の3階から出発階の4階へ上がって”TG2002″への搭乗手続きを完了。
手持ちの現地通貨は8337.5バーツ。僕はお金は大して使わない。普段であれば、これでしばらくは不自由しない。しかし今週末に参加をするバンコクMGの参加費用は、今回からバーツ払いになる。よって大事を取って、今日のうちに両替を済ませておくことにする。
06:06 エスカレータとエレベータを使って地下1階に降りる。そしてエアポートレイルリンクの券売機ちかくに並ぶ両替所の、各々の為替レートを見ていく。その結果、すべての店で1万円は2,880バーツ。即、ひとりの客も集めていない”Value Plus”で3万円のみを両替。消毒用のアルコール綿をオマケにもらう。
今度はエレベータで一気に4階へ戻る。スワンナプーム空港に人の少ないことは羽田空港とおなじ。いつもはそこここに溢れかえっている中国人の姿は皆無。認められた団体は、インド人によるそれひと組のみ。
06:28 保安検査場を抜けてB4ゲートに達する。
06:48 搭乗開始
07:25 “AIRBUS A330-200″を機材とする”WE002″は、定刻に5分おくれてスワンナプーム空港を離陸。
07:40 客室乗務員により機内食が配られる。タイスマイル航空の質素な機内食が、僕は好きだ。
「新幹線の食堂車でステーキを食べる人が嫌いだ」と、山口瞳は書いた。一方、ある食味評論家は、女性客室乗務員と自分のあいだで交わされた、そのとき機内に用意されていた”Chateau Lascombes”を巡る、機知に富んでいるらしい、あるいは洒落ているらしい会話をどこかに披瀝していた。山口瞳とその食味評論家のどちらを心情的に支持するかは、人それぞれだ。
機窓から見おろすイサーンの大地は、畦で四角く区切られていることにより、それが農地ということは分かる。しかしその色はどこまでも乾いて赤い。色だけを見れば、それは農地というよりも、まるで土漠である。
いまだ機内にいるうちに、タイバーツを納めた封筒を貴重品入れから取り出す。そしてそこから1,000バーツ札1枚、100バーツ札5枚、50バーツ札1枚、20バーツ札5枚を引き抜いて財布に移す。1,000バーツ札は、これを使う機会があれば、細かく崩すためのもの。100バーツ札は、もっとも使いでのあるお札。50バーツ札と20バーツ札はチップ用。これでもいろいろと考えているのだ。
08:00 “WE002″は定刻より25分はやくウドンタニー国際空港に着陸。
08:24 回転台に荷物が出てくる。
08:28 空港の建物から外へ出る。
右手に目を遣ると、数十メートル先にバスが駐まっている。近づくに連れ、そのバスの正面に”UDON CITY BUS”の文字が見えてくる。開け放ったままの乗降口ごしに、サングラスをかけた運転手が僕に声をかける。分かったのは、男言葉で「はい」や「ですます」を表す「クラップ」のみ。「パイ、センターン?」とひどいタイ語を発すると、運転手はふたたび「クラップ」と答えつつ頷いた。料金の20バーツは運転席脇のプラスティックの箱に入れる方式だった。iPhoneのgoogleマップに仕込んだ、オフラインでも現在位置を特定できる仕組みは正常に働いている。
08:35 バスが空港を離れる。
09:09 タイ人の発音では「センターン」となる”Central Plaza”が間近に見えてきたところで下車する。”Central Plaza”はちなみに、日本人の発音では「せんとらるぷらざ」となる。
わざわざ道を渡ってきたトゥクトゥクの運転手が、ホテルまで送るという。「歩いて行くよ」と僕は身振りで示す。オジサンは「オーッ」と笑いつつ去る。
予約を入れておいたホテルは「センターン」の前から歩いて3分ほどのところにあった。盛り場の真ん真ん中である。フロントのオバチャンは「4階のデラックスルームです」と、僕に419号室のカードキーを手渡した。スーツケースを部屋まで運んでくれたベルボーイには50バーツのチップ。時刻は9時27分。山田長政の時代を思わないわけにはいかない。
水を飲む、スーツケースから衣類その他を引き出しに移す、シャワーを浴びる、日本から穿いてきたズボンをタイパンツに穿き替える、既にして完成していた一昨日の日記を更に整えて「公開ボタン」をクリックするなどのことをするうち正午に至る。
日本から履いてきた革靴をゴム草履に履き替えて外へ出る。暑いことは暑いものの、汗はかかない。ホテルのある通りから目抜き通りに出て、北側の歩道を歩きつつウドンタニーの駅を目指す。駅ではプラットフォームに入り、ロビーに戻って時刻表を確かめ、駅から西へ向かって延びる目抜き通りの写真を撮る。「そんなことをして面白いか」と問われれば、別段、面白くはない。面白くもなく、またつまらなくもないのが、僕の旅行である。
駅前から、今度は南側の歩道を伝って来た道を戻る。
「ペンッ」と、いきなり左手から声がかかる。声の主は、マッサージ屋の前に座ったオバチャンだった。タイのマッサージ師は、外で食事やおしゃべりをしながら客を待つことが多い。
タイパンツを褒めでもしたのかと、腰のあたりに手をやってみる。オバチャンは首を横に振って、僕が手に提げた、きのう北千住のマツモトキヨシで商品を入れてくれたプラスティック袋を指した。ボールペンの先端が袋を突き破って顔を出している。「なるほど、このことか」と、オバチャンに礼を言い、それまで提げていた袋を、そこからは抱えるようにして歩き出す。
そのまま100メートルほど進んだ左手に、屋台がふたつ軒を並べている。客の入りはそこそこだ。タイ航空の機内食は半分ほどを残していた。タイスマイル航空の機内食は、いつも「軽食程度」より少ない。即、店の女の人に「バミーヘン」と告げる。「肉は豚か」と訊かれて了承する。
やがて運ばれたバミーヘンは、これまで見たこともないものだった。麺はまるで日本のソース焼きそばのように色が濃く、またスープの色は、まるで番茶だ。そのスープをひとすすりすると、すごく甘い。その甘い汁に、麺に載せられた、湯がいた豚肉のすべてを沈める。麺に味付けは、ほとんどされていない。よって卓上の調味料を適当にかけて自分の味を作る。不味くもないが、美味くもない。価格は40バーツだった。
親切を受けたお礼に、先ほどのマッサージ屋へ戻る。そしてオバチャンに「オイルマッサージ、2時間ね」と告げる。人生史上、最高に効く宇都宮の整体院の先生には「タイへ行ってもボキボキ系は避けてくださいね」と釘を刺されている。以来、僕はタイに来ても、関節技のようなものをいくつも繰り出す古式マッサージは受けない。オバチャンには、このところ宇都宮の整体院で責められ続けている、太股に走る4本の筋肉を、特に強くほぐしてもらった。そして明日の15時に予約を入れる。
ホテルのプールサイドには、午後の日差しがあった。フロントの人に教わって、目と鼻の先のフィットネスセンターからタオルを持ち出す。そしてそれを寝椅子に敷き、仰向けになって石川文洋の「ベトナムロード」を開く。頭上に咲く花は、あたりを甘い香りで包んでいる。僕の旅における、最上の時間である。
夕刻、部屋の机できのうの日記を完成させる。やがて日は落ちて、腹も減ってくる。昨年9月に余らせて持ち帰ったラオカーオは、ペットボトルに入れ替えて今回の荷物に含めておいた。そのラオカーオを、マッサージ屋のオバチャンがくれた、セブンイレブンのエコ袋に納めて外へ出る。
駅ちかくの夜市のうち、今日は北側のそれに足を踏み入れる。縦に長いフードコートの店を眺めつつ、もっとも奥に達する。右手の注文屋台が目に付く。立ち止まると、肌の黒い、メガネをかけた、髪の毛はチリチリに縮れた好もしい雰囲気の女の子が僕に声をかけつつメニュを差し出した。メニュはタイ語と英語で書かれていた。その”FRIED NOODLE”のところを指しながら「パッキーマオ」と言ってみる。女の子は嬉しそうに「チャイ、チャイ」と答え、肉は何にするかと訊いた。僕の答えは大抵、豚である。その注文屋台の対面にある飲物屋台でソーダとバケツの氷を調達する。
席に届いた皿に、麺は見えない。しかし目を凝らすと、野菜の影にセンヤイが認められた。「センヤイパッキーマオ?」と訊く。「チャイ」と女の子は、ふたたび嬉しそうに笑った。
名勝や奇景に興味は無い。星付きのレストランも世界遺産も要らない。アトラクションやアクティビティは面倒だ。地元の人の集まる夜市で、地元の人の食べるものを肴にラオカーオのソーダ割りが飲めれば、それで僕は満足だ。そしてそれこそが、僕の「観光」である。
部屋に戻ってシャワーを浴びる。時刻は20時。三菱製の冷房に室温24度と1時間のタイマーを設定して就寝する。
朝飯 “TG661″の機内食、“WE002″の機内食、そのコーヒー
昼飯 駅からの目抜き通り南側センタンちかくの屋台のバミーヘン
晩飯 駅からの目抜き通り北側のナイトプラザのセンヤイパッキーマオ、カオカームー、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)