2020.2.13 (木) あの時代の旅行
「私は来年五月までニ渡米、南米からロオマのオリンピツクなどと考へて居ますがどうなりますやら」とは、昭和34年、つまり1959年10月13日の日付を記した、川端康成から三島由紀夫への手紙の一部だ。このとき川端は60歳。
今、1960年のローマオリンピックについて調べてみれば、開会式は8月25日とある。大作家の旅行なら、行く先々に案内役がいて、世話をしてくれることは間違いない。それにしても、5月にアメリカに入って南米に下り、そこから大西洋を横断して8月にイタリアとは大旅行で、川端はよほど体力に自信があったとみえる。
新潮文庫の「川端康成・三島由紀夫往復書簡」の巻末にある川端の年譜の、1960年には「五月、アメリカ国務省の招きで渡米。続けて七月に、ブラジルのサンパウロで開催された国際ペンクラブ大会に、ゲスト・オブ・オナーとして出席し、八月帰国」とある。川端は、本当に行ったのだ。
日本が海外への渡航を自由化したのは1964年。その4年前であれば、行く先々での不便は想像してあまりある。しかし逆に、面白いことも多々あったに違いない。同文庫の三島の年譜に目を移してみれば、こちらもまた、一旦海外に出れば、その旅程は数ヶ月に及ぶ。滅多に得られない機会ゆえ、それを最大限までしゃぶり尽くそうとしたのだろう。
「あの時代に小型のビデオカメラがあって、動画と音声が残されていたらなぁ」と、つくずく思う。川端や三島のそれに、ではない、あの時代の旅行というものに、興味があるのだ。
朝飯 蕗と姫竹の炊き合わせ、生玉子、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、牡蠣飯、菜花の味噌汁
昼飯 バターとブルーベリージャムとらっきょうのたまり漬のトースト、チーズ入りパン、ヨーグルト
晩飯 トマトとクレソンとマカロニのサラダ、ハムエッグ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、蓮根餅、TIO PEPE、チーズ、Old Parr(生)