2019.10.13 (日) 昭和30年代なら数千人が亡くなったはず
枕元を手探りしても、iPhoneは無い。食堂のコンセントに繋いだままに違いない。起きることを決めて服を着る。「4時は過ぎただろうか、まさかもう5時台ではあるまいな」と考えつつ洗面所に入って明かりを点ける。低いところに置かれた時計には「2:56」の数字があった。外はしんと静まりかえっている。
食堂に出て窓を開ける。雨は既に止んでいる。空には、晴れているらしい真っ黒なところに雲がまだらに見えている。生暖かい風が吹いている。鈴虫の声が賑やかだ。
きのうの天気予報によれば、日光市は朝は曇り、11時から晴れてくるとのことだったが、普段は見られないような、幾重にも層を成した黒雲のむこうから朝日が昇る。6時を過ぎたところでテレビのスイッチを入れ、今般の台風19号が、特に関東甲信越から東北地方にかけて、甚大な被害をもたらしたことを知る。
8時の朝礼では、台風が去ったことを受けて、各部署がすべきことを伝える。販売係のササキユータ君は、風に飛ばされてきた諸々を掃いて袋に詰めるため、いつもの数倍の時間を掃除に費やした。製造係のイトーカズナリ君は、蔵の各所で発生した雨漏りについて、逐一、報告に来る。ウチで最も古い建物である、江戸末期のものと思われる隠居には、ひとかけらの被害もなかった。
宅急便はきのうから荷物を預かることを止めている。しかしJR宇都宮駅に隣接する商業施設にある宮源さんからは、正午の納品を頼まれている。これについては長男が、普段なら数十分で行けるところを2時間30分の余裕を見ながら配達をした。帰ってきたところで話を聞けば、あの、いつもなら堤防から10メートルちかく下を薄く流れるのみの田川が氾濫し、JR宇都宮駅周辺の道路はかなりの部分で通行止めとなって、ブルドーザーが泥をかいていたという。
お客様の中には、9月上旬の台風15号、そして今回の台風19号により被災をされた方もいらっしゃるに違いない。そういう次第にて、年末の贈答の季節に向けてお送りするダイレクトメールの挨拶文は、既にして発注済みではあるけれど、それは届いた後に捨てることとして、新たに書き直す。
閉店後は食堂に戻り、ハイボールで心を鎮める。19時より屋台まつりの話し合いのため、町内の公民館へとおもむく。話し合いは手際よく進んで数十分で完了した。そして家に戻って簡単な夕食を摂る。
朝飯 なめこの醤油煮、納豆、ほうれん草のソテーを添えたベーコンエッグ、胡瓜のぬか漬け、ごぼうのたまり漬、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、オクラとシメジの味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 だしあごの網焼き、Old Parr(ソーダ割り)、スパゲティナポリタン、G7 The 7th Generation Cabernet Sauvignon 2018