2019.9.22 (日) タイ日記(4日目)
朝食を済ませて部屋に戻ると時刻は6時50分。何かを忘れているような気がして、数秒のあいだ静かに考える。そして、ホテルの裏口から目抜き通りへ向かってしばらく行ったところの洗濯屋に、今日は洗濯物を出す日だったことを思い出す。
洗濯屋が開くのは7時。その7分すぎに店の前まで行くと、扉が閉まっている。今日が休みでないことは、きのうのうちにオカミに確認済みである。2度3度と声をかけると、中に人の動く気配があって、やがてオカミが出てきた。今の今まで寝ていた風情である。オカミが僕の洗濯物を台秤に載せる。1キロをすこし超えている。しかしオカミは「50バーツ」と、超えた分はまけてくれた。仕上がりは18時とのことだった。
7痔55分よりプールサイドに降りる。寝椅子に仰向けになって、プラスティックの袋から本を取り出す。スーパーマーケットなどでくれる袋を、日本では何と呼んでいただろう。世界標準からすれば「プラスティック袋」が正解のような気がする。とにかく今朝の空に、雲はほとんどひとつも無い。天頂に近いところには、半月よりすこし欠けた感じの月が見えている。
本は読んでいるものの、時々は視線をずらして空も見る。東の方から飛行機が飛ぶくらいの速さで、薄い雲が西へと延びていく。月も徐々に、西の方へ降りていく。雲はやがて空の半分ほどを覆い、月は見えなくなる。時刻は9時18分。
空の青いところがふたたび広くなり始める。月はプールに来たときより30度ほども降りてきている。時刻は10時15分。部屋には10時50分に戻った。
朝夕は涼しくても、日中は暑くなる。その炎天の下を歩いてジェットヨット通りの汁麺屋へ行く。この店の味については色々なことを言う人もいるけれど、僕は毎度、満足をしながら食べている。その満足は、あるいは「食べ物の味などは所詮、一期一会のもの」と考えているからかも知れない。
昼食から戻ってシャワーを浴びるのは滝のような汗を流すため。またベッドでひと休みをするのは、汁麺を食べるためだけに炎天下を往復2キロも歩いたためだ。15時前から17時前まではふたたびプールサイドに降りて本を読む。
約束の18時に朝の洗濯屋を訪ね、洗い上がった衣類を受け取る。ポロシャツ3枚、パンツ3枚、パジャマ上下、ハンカチ1枚、靴下1足の洗濯代が50バーツ、邦貨にして170円強とは何やら申し訳ない気持ちもするけれど、洗濯屋はチップを受け取る職種ではないからチップは手渡さない。
いつものフードコートでは、きのう昔ながらの小さな皿に肉を盛ったチムジュム屋を見つけたため、今夜はそこに注文を通す。あるじは僕に「マイペッ?」と訊いた。僕の答えはいつも「ペッタマダー」である。「辛さを手加減されて堪るか」という、これは僕の見栄である。
隣のテーブルには幼い姉弟を連れた母親がいて、弟の方が大声を出すと、母親は僕を気遣って「静かにしなさい」と注意をした。僕は「まったく気にしていませんよ」という意味を込めつつ母親に笑顔を返した。やがて姉弟はひと皿の、センレックよりも細い、しかしセンミーよりは太い麺による、簡素なものを分け合って食べ始めた。いかにも美味そうである。「それはセンミー炒めですか」と訊くと母親は何ごとか言いながら身振りですぐそばの26番ブースを指さした。立ってその26番ブースに近づき、同じことを訊くと、なにやら違う料理らしい。僕は母親に断って、その麺の写真をiPhoneで撮る。そして店の人には「明日ね」と声をかけてフードコートを去る。
昨年は「野犬に注意しろ」と地元の人に脅かされたり、ホテルの予約サイトのレビューには「女の一人歩きは避けるべし」とある、目抜き通りから料理屋ムアントーンの角を東に折れる静かな道を歩いて部屋に戻る。そしてシャワーを浴び、蚊取り線香に火を点け、ほんの10分か15分だけ回した冷房を切って就寝する。
朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の朝のブッフェ
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコート25番ブースのチムジュム、ラオカーオ”CABALLO”(ソーダ割り)