2016.9.9 (金) 雲水は無理としても
オヤジは2005年に亡くなった。オフクロは2014年に亡くなった。ふたりは日本の高度成長と共に壮年になり、50代でバブルを迎えた。多くの日本人がそうであったように、彼らも金銭をモノに換え続けた。有り体に言えばモノを買い漁った。あるいは義理がらみや泣き落としにより無理やり押し付けられたものも少なくなかった。その集積が、彼らの居住空間である。
特にオフクロは、モノを買うこと、貰うことが大好きで、且つ、モノを処分すること、捨てることは大層、嫌った。もうひとつ、オフクロは空間を好まず、それをモノで埋めた。テーブルや机の上もモノで満たした。モノで満たされたテーブルや机は本来の意味を失う。オフクロは最後は、これまたモノだらけで足の踏み場もない床に数十センチ四方を確保し、そこに正座をしてメシを食べていた。
「3階は巨大なゴミ溜めだからね」とはオヤジが生前、僕に言ったことだ。
オフクロが亡くなって「それっ」とばかりにその3階の整理整頓を始めたかといえば、そのようなことはない。あまりのモノの多さに気力が湧かなかったのだ。しかしいつまで座しているわけにはいかない。今年の春から人を介して寄付をしたり、あるいは思いついた人を呼び、欲しいものがあれば持っていってもらった。ただし、そんなことでは「巨大なゴミ溜め」はビクともしない。
不要品の引取業者を8月末に呼び、2トントラック4台分のモノを捨てた。それでも足りずに今日もおなじ業者の2トントラック1台が来て、先日、積みきれなかったタンスや下駄箱を引き渡した。「これが最後の機会」と、下駄箱を撤去した裏玄関の、更に奥にまで僕は潜り込んだ。そしてそこに積み上げられたままのガラクタすべても業者のオニーサンに手渡し、それらはリレー式にトラックに積み込まれた。
オヤジとオフクロの遺したモノの、体積にして97パーセントは本日を以て綺麗さっぱり無くなった。
裏玄関の更に奥のガラクタの中からは、何十年前、あるいは100年以上も前に使われていたと思われる看板が出てきた。もちろんこれらは捨てない。また階段に積み重ねられた靴箱の下からは、僕が何十年も見つけられずにいた、懐かしいヘルメットも出てきた。
モノを持つことにより精神の充足を得る人もいるだろう。しかし「モノは空しい」という結論に、僕は2年前、58歳のときに達している。雲水は無理としても、できるだけ少ないモノで暮らしていきたい。
朝飯 たまり漬「ホロホロふりかけ」を薬味にした納豆、スペイン風目玉焼き、冷や奴、しその実と胡瓜と茄子の塩漬け、牛蒡と人参のきんぴら、メシ、若布と揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬
晩飯 酒肴ひととおり、野菜の天ぷら、たまり漬「刻みザクザク生姜」と同「鬼おろしにんにく」を薬味にした鰹のたたき、牛肉のたまり漬け焼き、乳茸うどん、5種の日本酒(冷や)