2019.8.11 (日) 「語らない」ということ
むかし、このむかしとはいつごろのことかと頭を巡らせれば、1979年から1982年のあいだであることは確かだ、8代目橘家圓蔵がいまだ5代目月の家圓鏡だったとき、その独演会を上野の鈴本で観た。目当てはゲストの立川談志と悠玄亭玉介である。
談志は圓鏡の対談の相手として高座に上がった。話題は芸界のゴシップからやがて「落語とは」という真面目なところに向かっていく。その途中「噺家は落語(というもの)を語ってはいけない」と圓鏡が持論を述べると「(お前さんが)語れねぇだけじゃねぇか」と、談志は演技としての嗤いを顔に浮かべつつ混ぜ返した。しかしこのときの「噺家は落語を語ってはいけない」という圓鏡のことばは、なぜか心に残った。
朝3時55分より仏壇の掃除に取りかかる。お盆を迎えるにあたってのこの仕事は、30分で終わるときもあれば1時間を要することもある。今朝の掃除は4時35分に完了した。完了したとはいえ線香立ての灰をふるいにかけて軟らかくすることは外での作業を要するため、それのみは後に回した。
僕は無知の衆生のひとりだから宗教を語ることはしない。というよりも「語れねぇ」のだ。しかし仏壇の掃除くらいはできる。埃の払われた仏壇に花と水とお茶を供えると時刻は4時44分。自分の湯飲みのお茶を飲み終えて4時50分。以降は製造現場に降りて、早朝の仕事に従う。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ハムエッグ、生のトマト、鮭の焼き漬け、柴漬け、胡瓜のぬか漬け、みょうがのたまり漬、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 白胡麻と茗荷のつゆで食べる黒胡麻素麺
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、カツレツ、ドライマーティニ、TIO PEPE