2019.8.5 (月) 観光
ご来店のたび僕に声をかけて下さったお客様から、今回は電話でご注文をいただいた。そのついでにお客様は僕と長話をしてくださった。
僕とおなじほどの年齢と思われたそのお客様は、早くも引退をされたという。そして持病だったヘルニアの手術を無事に乗り越え、またお嬢さんをしっかりした人の元へ嫁として送り出したことを期に、自分への慰労としてバンコクへ旅することを決めた。
バンコクではナナ駅ちかくの奇数側のソイ、つまりスクムビット通りから北へ延びる小路に建つ中級ホテルを宿とした。そして冷房を効かせた部屋で日本から持ち込んだ推理小説を何冊も読んだ。昼食は毎日、ふた駅はなれたプロンポンにある日本式中華料理屋に通った。帰りはエンポリアムのフードコートへ寄り、夜はそこで調達したおかずを肴にコンビニエンスストアで買ったビールを飲みつつ、部屋のテレビでNHKの放送を観た。気が向けばちかくのマッサージ屋で2時間のマッサージ、そして毎日ずっと、それを繰り返した。
お客様のお話の中の、僕の脳に強く刻まれたところを要約すれば、そのようなことになる。
さて、せっかく海外に出かけながらホテルの部屋に籠もって本を読み、昼は日本にいるときと変わらない中華料理を食べ、夜はこれまた日本にいるときとおなじテレビ番組を観て、それで楽しいか、ということであるけれど、旅の愉しみは人それぞれだ。
僕は本はプールサイドで読む。昼はそこら辺のメシ屋へ行く。ホテルとメシ屋への往復が散歩になる。午後は日が西に傾くまで、またプールサイドで本を読む。夜は屋台街へ出かけ、そこで売られているあれこれを肴にして、街の酒屋で買った焼酎を飲む。部屋に戻ればシャワーを浴びてすぐに寝て、翌早朝は日記を書く。そして毎日、そればかりを繰り返す。
お客様の旅と僕の旅は、驚くほど似ている。名所、旧跡、景勝地には行かない。そういうところへ出かけなければ、来る日も来る日も閑ばかりだ。その閑に含まれる滋味を、ゆっくりと味わうのだ。ラッタウット・ラープチャルーンサップの「観光」の母子も、タイ国鉄南線に乗って「ただ車窓の景色を眺めていただけ」ではなかったか。
朝飯 生のトマトを添えた目玉焼き、納豆、茄子とピーマンのソテー、明太子、胡瓜のぬか漬け、ふきのとうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 冷やし中華
晩飯 ハムとレタス、トマトの冷たいスパゲティ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、メロン