2016.12.22 (木) 冬至プラス1
「オレもひとつ、ミステリーというものを読んでみるか」とあるとき思い立った。選んだのはギャビン・ライアルによる、ミステリー小説の金字塔「深夜プラス1」だ。結論から言えば、どこが面白いのか分からなかった。しかし最後の段落の「真夜中を一分すぎていた」は印象に残った。
昭和20年生まれの叔母が高校生のときに使っていた勉強部屋を、昭和31年生まれの僕が引き継いだ。東京オリンピックの頃のことだ。その勉強部屋は押し入れを改造したもので、畳一畳ほどの空間に作り付けの机と本棚、そして外へ向かって真四角の窓があった。閉所好みは生来のものか、僕はこの勉強部屋をとても気に入っていた。
その小さな部屋の本棚に古い本が残されていた。僕はその背表紙のカタカナを「パロレット」と読んでいた。後から考えればそれは「ハムレット」だったのだが、デザインのためか「ム」が「△」になっていて、これを僕は「ム」とは判読できないゆえの「パロレット」だった。
その旧仮名遣いによる「パロレット」を小学校2年か3年の僕が開いて読もうとするが「そこもとは何者ぢゃ」の「そこもと」が理解できず、先へ進むことを諦めた。以降、現在にいたるまで「ハムレット」は読んでいない。
ところで「真夏の夜の夢」について、これは実は「夏至の夜の夢だ」という人がいるらしい。まぁ、どうでもよい。
きのう事務室の丸テーブルにふたつの柚のあることに気づいた。どなたかにいただいたものだろう。夜はその柚を風呂に浮かべた。この柚を潰してできるだけ多くのエキスを湯に溶かし込もうとする悪癖が僕にはある。やってみれば分かることだが、それは肌に耐えがたい刺激を与える。それを思い出して、きのうの夜は、柚を潰すことはしなかった。
「これから徐々に日が短くなる。6月とはいえ、秋は手の届くところまでやってきているのだ」と考えてしまう夏至は、夏の好きな僕にとってはイヤな日である。「これから徐々に日が長くなって、やがて夏が来る」と考えられる冬至は1年のうちでもっとも好きな日かも知れない。その冬至の朝の写真を迂闊にもきのうは撮り忘れた。よって今朝は”NIKON D610″の50ミリのレンズを「ニーヨンハチゴー」のズームレンズに交換して「冬至プラス1」の空を摂る。
朝飯 ほうれん草のソテー、納豆、厚揚げ豆腐の炊き物、昆布の沖縄風炒め、すぐき、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 マカロニサラダ、「自由学園パン工房」のシュトーレン、焼きリンゴ、鶏のレバーペースト、鶏肉の南蛮漬け、数日前の肉団子、“Qué bonito cacareaba2013”