2019.5.24 (金) 川風はしごく
鳥は夜の明けることを察して啼き始める。今、鳥は3時台に第一声を上げる。仏壇に供えるお茶を淹れていると、食卓に置いたiPhoneが音を発する。よほどのことでもない限り、目を覚ますために目覚ましをかけることはしない。4時に鳴った音は「今朝は製造現場へ降りるべし」という、忘備のためのものだ。
半袖のポロシャツ1枚で現場に降りる。白衣や帽子、マスクや手袋は必ず、前夜のうちに用意をしておく。それらを身につけ早朝の仕事に当たる。
「お墓に供えた花は枯れる前に片付けるべし」と考えるようになったのは、昨年のことだ。以降、墓参の後にはマメにお墓を訪ねていたが、先週、おじいちゃんの祥月命日に際して供えた花は、気にしながらも放置をしてしまった。「今日こそは」と、午前の早い時間に如来寺へ行く。白い菊は幸いにもいまだ枯れずにあった。それを花立てから引き抜いて、ゴミ置き場の袋に納める。
お墓の花立てや線香立てのあたりを閼伽桶の水で洗い、最後にその花立てを水場で洗っていると「ずいぶんと暑くなりましたねぇ」と、やはりお墓の掃除に来たらしい老人に声をかけられだ。「むかしは5月に30度なんて、考えられませんでしたからね」と、僕はことばを返す。
子供のころ、つまり昭和30年代のおわりから40年代の前半にかけて、夏休みには木更津にあるオフクロの実家に長逗留をした。舗装されていない路地は、人が長年に亘って捨て続けたものだろう、粉々に割れた浅蜊の殻で覆われていた。炎天下、その白い道を踏んで海へ向かいながら「今日は30度を超しているから暑いよ」と、大人に注意を受けた記憶がある。あのころの「30度」には、特別な響きがあったように思う。
夜は僕が書記を務める日本酒に特化した飲み会「本酒会」の例会にて、大谷川に架かった大谷橋を渡って大谷向まで行く。川風はしごく、爽やかだった。
朝飯 蓮根と人参のきんぴら、納豆、茄子とピーマンの「日光味噌ひしお」炒め、巻湯波の淡味炊き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、胡瓜のぬか漬け、ふきのとうのたまり漬、メシ、エノキダケと茗荷の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のオムライス(ケチャップはかけないでね特注)
晩飯 「玄蕎麦河童」の酒肴あれや、これや、それや、他あれこれ、冷やしたぬき蕎麦、3種の日本酒(冷や)