2019.4.8 (月) すべては豆板醤のために
「らっきょうのたまり漬」についてのことを夢の中で考えつつ、ゆっくりと目を覚ます。枕の下からiPhoneを取りだし見ると、時刻は2時7分だった。東京と大阪への、ウチとしては少なくない数の「らっきょうのたまり漬」の出荷が控えている。その仕事の進捗の具合を確かめるため、白衣と帽子とマスクを身につけ、製造現場へ降りる。食堂に戻ると、食器棚に置かれた電波時計は2時55分を指していた。
きのうは昼前に4名様を蔵見学にご案内した。そのお客様が蔵から店にお戻りになると、僕は味噌蔵のある庭に引き返し、戸締まりをしたり、あるいは蔵の中で履いていただいたサンダルを片付けたりする。そうして外へ出たところで、息せき切って僕を呼びに来た家内に声をかけられる。
店には女性のお客様がいらっしゃった。お話によれば、このウェブログに「そこまで固執するか」と呆れるほどたびたび上がる百德食品公司の豆板醤と辣椒油を、この春に社会人になろうとされているご長男が就職を前に旅された香港の、中国語なら嘉咸街、英語ならGraham St.と表される細い坂道を上って右側にある九龍醤園で買ってきてくださったのだという。「恐懼」とは、このようなときのためにある言葉だと思う。僕はお客様に何度も頭を下げ、店の前に出てお見送りをさせていただいた。
「数年前に香港で購った百德食品公司の豆板醤はほとんど使い果たし、しかしその残りには惜しくて手が出せない」の一節は、この日記に検索をかけて見つけ出した、2007年6月4日のものだ。とすれば本日いただいた豆板醤と辣椒油は、およそ12年ぶりの味、ということになる。
夜は豆腐と揚げ湯波の鍋を作ってもらった。その、熱く煮えた豆腐と湯波を器に取って、貴重な豆板醤を添える。そうして口に運んでみれば、それは間違いなく「あの豆板醤」だった。本日のお客様には、厚く御礼を申し上げます。そして今度こそ、香港へは自分で行かなくてはならない。
朝飯 イカナゴの釘煮、ジャガイモとピーマンとパプリカの「日光味噌梅太郎白味噌」和え、切り昆布の炒り煮、巻湯波の淡味炊き、納豆、ラタトゥイユ、蕗のとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 カレーライス、塩らっきょう
晩飯 茹でたグリーンアスパラガス、長男が歌舞伎町で中国人のオバサンにもらった臭豆腐ほか、豆腐と揚げ湯波と豚肉の鍋、”ABSOLUT VODKA”(ソーダ割り)、バームクーヘン、”Old Parr”(生)