2019.3.13 (水) タイ日記(7日目)
早朝4時30分より荷造りを始めるものの、一度で済むことに二度手間をかけることが多く、能率が上がらない。どうにか形のついた5時30分からおとといの日記に取りかかる。閉まっている窓の外からでも聞こえる鳥の声を更によく聞こうとして窓を開ける。サワンカロークで盛んに啼いていたフーイッ、フーイッという鳥ではない。バンコクに聞こえるのは雀の声ばかりだ。
8時10分にきのうのクイティオ屋をソイ46に訪ねると、残念ながら休みだった。そのままチャルンクルン通りに出て、これまで食べていたクイティオ屋の前まで行き、しかしどうも気分が乗らない。ソイ44を西に歩いてバンラック市場に入る。そしてここに店を出しているぶっかけメシ屋で、普通盛りのゴハンにふたつのおかずを載せてもらう。値段は35バーツ。インフレーションが亢進しつつあるバンコクにあって、何年も値上げをしていないらしい。
ソイ46から「陋巷」と呼ぶにふさわしい家と家のあいだを入って、きのうの洗濯屋へ行く。あたりの、まるでスラムのような風景には似合わず、洗濯物は綺麗に畳まれ透明の袋に入ってできあがっていた。その洗濯物が揃ってようやく、荷造りがほぼ完了する。
9時すぎから11時を回るまではプールで本を読む。旅の楽しみはいろいろとあるけれど、もっとも楽しみにしているのは、多分、このプールサイドでの本読みだ。それも、次にタイに来る6月までお預けである。
チェックアウトを済ませて正午にホテルを出る。昨年の11月に完成したアイコンサイアムへの舟にはサトーンの桟橋のどこで乗るのか、きのうコモトリ君に訊いたら「行ったことがねぇから分かんねぇんだよ」とのことだった。ホテルとは目と鼻の先の桟橋へ行き、しばらく様子を見ていると、アイコンサイアムの看板を屋根に取り付けた、渡し舟などとは比較にならないほど大きな双胴船が近づいて来た。それが着岸する前に、近くにいた係のオジサンに「どこに着くの」と息せきを切りながら訊く。「左の通路の奥」と、オジサンはすかさず教えてくれた。アイコンサイアムとサトーン桟橋のあいだを往復する舟は、アジアティークに客を運ぶ舟とおなじ、川に向かってもっとも左に着いた。
アイコンサイアムのグランドフロアは、たとえて言えば百貨店のディズニーランド、あるいは百貨店の日光江戸村である。脇の入口には観光バスが続々と横付けをされて、中国からの団体旅行客が次々に吸い込まれてくる。すこし旅費の高いらしい、これまた中国からの団体客は、店内にあっていかにも高級そうな海鮮料理屋”JUMBO”の席のほとんどを占めている。
昼食をいまだ摂っていなかったこともあって、僕は水上マーケットの舟を模した店でカノムチーンゲーンキヨワーンを食べた。この”SOOK SIAM”という場所の食べ物屋の料理は、少ない例外を除いては価格を50バーツに統一しているようだった。
フロアの案内板をしばし眺めて、今度は6階の展望レストラン”FaLLabeLLa”の扉を押す。いやはや素晴らしい眺めだ。チャオプラヤ川にもっとも近い席に着き、マンゴージュースを注文する。「本、持ってくりゃ良かったなー」と後悔しても、本はホテルに預けたスーツケースの中だ。隣のテーブルではムスリムの少女4人が互いに写真を撮りあっている。あまりにも居心地が良いため、彼女たちが飲んでいたコカコーラを追加で注文する。
“FaLLabeLLa”の、ちょっと気の効いたオネーサンを手招きして、食べ物のメニュを見せてもらう。営業時間は10時30分から真夜中まで。階下の店は22時に閉まるので、以降はエスカレーターではなくリフトで1階に降りる。サトーンへの舟の最終便は23時30分。日暮れ時から夜にかけての来店で良い席に着きたければ、平日でも予約をした方が無難、などということを聞き出す。
帰り際に船着場のオネーサンにサトーンへの最終便を訊くと、彼女もまた23時30分と答えた。タイは「マイペンライ」の国なので、大切なことは複数の人に確認をしておかないと、なにかと失敗をすることが多いのだ。
サトーンへの舟は15時23分にアイコンサイアムの桟橋を離れた。舟はおおむね1時間に4本くらいが動いているようだ。
おととい夕食の帰りにバンラックの巨大な立体駐車場の中を抜けるとき、その1階に床屋のあることに気づいていた。そこへ行くとオニーチャンはスマートフォンで動画を見ていた。「大丈夫か」と訊くと、彼は商売のできることを身振りで示した。その、客は地元のアンチャンばかりだろうと思われる床屋で髪と髭を切ってもらう。髪だけなら120バーツだが髭もあるから200バーツとは、店に入ったときに説明をされていた。彼の仕事は南の国の床屋としては、割に丁寧だった。
16時前に、チャルンクルン通りソイ44と46のどん詰まりを繋ぐ、つまりシャングリラホテルのアパート棟の裏に面したマッサージ屋に入り、足マッサージ1時間、頭と肩のマッサージ1時間を受ける。寝椅子に半覚半生の状態でいると、騒がしい複数の客が来た。薄目を開けるとアジア人のようだが、店の人とは英語で交渉をしているから、壁に貼ってある「お静かにお願いします」の英文が読めないわけはない。民族にかかわらず、人は集団になると大抵、騒がしくなるものだ。
18時にホテルに戻り、預けてある荷物を受け取って18時09分にホテルを去る。BTSがサパーンタクシンを出たのは18時18分。シーロム線とスクムビット線を乗り継ぎ、パヤタイには18時36分に着いた。駅の下に降りたら横断歩道が無いのでふたたび駅に上がって向こう側に渡る、というようなことをするうち、駅の真下にありながら、フロリダホテルのコーヒーショップ”TAMPA”までは17分も費やしてしまった。
ソーダとバケットの氷を注文し、席に届いたそれでラオカーオのソーダ割りを作って飲む。メニュのページを行きつ戻りつして、サンドイッチのところから”Triple-Deccker Club Sandwich”を選ぶ。持参した全183ページの岩波新書は2日ほどで読み終えていた。これと平行して読み始めた633ページの厚い方は、450ページまで進捗をした。
20:10 “TAMPA”を去る。料金は214バーツだった。
20:20 エアポートレイルリンクの車両がパヤタイを発車する。
20:35 フアマークを過ぎても高速道路の渋滞は途切れない。
20:40 バンタップチャンを過ぎても高速道路の渋滞は途切れない。
20:50 スワンナプーム空港着。
タイ人は一体に歩きたがらない。豊かになればなるほど、その傾向は強くなる。駅の階段を昇ったり降りたりすることなく、涼しい車内で座ったまま移動することを好む。その性向が都市の大渋滞を生む。渋滞に1時間、2時間と閉じ込められることを知っていながら、タイ人のうちのかなりの数、またタイに慣れてしまった人たちは、座ったまま移動することを選ぶ。バンコクでは東京より頻繁にランボルギーニを目にする。渋滞の中のウラカンは、まるで蠅取り紙にくっついたカメムシだ。
21:09 チェックインを完了。
21:40 ベンチで330ccのペットボトルに残ったラオカーオを生で飲み干す。
21:52 保安検査場を抜ける。
22:07 パスポートコントロールを抜ける。
22:22 楽天のゴールドカードを持っていれば誰でも使えるミラクルラウンジへ行く。
“BOARDING TIME 22:35″と印刷されたボーディングカードをミラクルラウンジのオネーサンに示して滞在可能時間を訊くと「15分」と答える。シャワー室への入口に係の姿は見えない。受付に戻ってオネーサンに係を呼んでもらう。その係からタオル一式が納められた乱れ籠を受け取る。午後からの汗を流し、シャツを着替えて待合室へ急ぐ。搭乗は既にして始まっていた。
機内69Jの席に着いて左腕の時計を見る。時刻は23時20分だった。
朝飯 バンラック市場のぶっかけメシ屋の2種のおかずを載せたごはん
昼飯 “SOOK SIAM”のカノムチーン屋のカノムチーンゲーンキヨワーン
晩飯 “TAMPA”の”Triple-Deccker Club Sandwich”、ラオカーオ”Colt’s Silver”(ソーダ割り)